[コメント] モスラ MOTHRA(1996/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
怪獣をモンスターとしてのみ描こうとしてきた東宝が、一つの可能性として新しい怪獣の姿を描こうとした。ある意味では、これは正しい選択だったと思われる。怪獣映画は様々な可能性があって良いのだから。これが人型だったら『ウルトラマン』になってしまう訳だが、格闘の出来ない怪獣を選んだことにより、様々なメッセージを付加することが可能になったのだから。ある意味、(私のような)怪獣ファンに媚びることなく、純粋に子供のために働く怪獣を割り切って描こうとしたのは、正しかったとは思う…
…いや、思いはするのだが、出来上がった作品には、幻滅しか覚えることが出来なかった。
物語を単純化させた点に関しては悪いとは言わない。ただ、そこに見られたのは、単なるやっつけ仕事。要するに怪獣に対する思い入れというのが全く感じられないのだ。モスラを出そうというのならば、そのモスラに対する愛情が必要だったのではないか?本作でのモスラの存在意義は“自然の守護神”という、一種のメタファーとしての存在だけ。物語の都合で怪獣を使って欲しくない。メッセージ性を高めても、それを受け取る側の事を全く考えてないような押しつけのメッセージだけしか印象が残らないのは問題がありすぎる。モスラをメタファーにするのなら、徹底させればいいのだ。それさえも中途半端にしてしまった。
それにこのラストはどうだ?デスギドラによってぼろぼろになった自然を子供達に見せつけ、「これが現実だ!だけど、これを癒せるのは、君たちにかかっている」という具合で終わるならまだしも、他者であるモスラが全部何とかしてくれてる…ここまでご都合主義に陥るか!製作側の感性を疑う出来だ。
評価できるのは、やっぱりここまで培ってきた特撮部分で、特にフェアリーとガルガルの家の中での追いかけっこは、よく細かくできてると感心できる…ただこれも思い入れがやはり感じられず、職人の仕事としか見えないのが悲しい。
多くの意味で、この作品で必要だったのは、製作側の、特撮に対する思い入れだった。それを欠如させてしまっては、怪獣映画を撮る意味がない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。