[コメント] レッド・サン(1971/仏=伊)
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1970年、全権大使中村哲、三船敏郎は直属の部下。彼等の乗った大陸横断鉄道。チャールズ・ブロンソン一味が列車強盗。黒ずくめにシルクハットのアラン・ドロンも仲間の模様。序盤にドロンが列車から追い出した保安兵を射殺して笑っているのは印象悪かろう。ドロンは帝から大統領への贈り物の刀奪って、取り返そうとする武士もとっとと射殺。その後も敵味方関係なくさくさく撃ち続ける。一味は逃走、三船は線路際に墓穴掘らせて、アメリカ人も一緒に埋葬している。なぜか別行動のブロンソンに案内させて三船はドロンの剣を追う。
ブロンソンは袴を「男のはくスカート」と呼び、三船は俺は「歩きながら寝ておる」と世界にデマと飛ばす。武士は忍者ではない。野宿したやぶ蚊を成敗したり。柔道でブロンソンを投げ飛ばし続ける件は、これ見て随喜の涙を流す本邦戦中派を意識するのだろうか。負けたブロンソンの「今日の処は引き分けにしておこう」が関西ギャグで笑えた。雪山で褌一枚になるのは武士一般ではなく三船の趣味に見える。
「忠義で腹は膨れねえぜ」とブロンソン。消えゆく武士階級に自覚的な三船は最後のご奉公と云う。消えゆく西部劇ガンマンの70年代とクロスさせられている。強盗に合ったメキシコ人に同情を寄せているのも併せ、70年代の映画。ただし後半はインディアンとの抗争になる。サトウキビ畑での対決は意欲的な設定だったが上手く撮れてはいない。ドロンとブロンソンは決まり事のようにひとりの女を奪い合う。
三船が次の殺陣に挑むとき、刀が先に斬った者の血で汚れている。本邦時代劇の様式美では見慣れない描写で、まさに文化の違いだった。最後に飾られた刀も血で濡れている。最後に電線にぶら下げられた宝刀とは何の意味だったのだろう。ああしておけば目立つから大使が見つけるだろう、ぐらいの意味なのか。それとも意味などないのだろうか。
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