[コメント] レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う(1994/フィンランド)
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今(2018)まさに話題のアメリカへのメキシコ国境突破から始まり故郷シベリア到着に至る物語。シベリアは彼等の故郷にしてモーゼが向かう約束の地なのだが、しかしなぜ約束の地なのだろう。あの真っ赤なバスは何なのだろう。西側の札では駄目だとフランスで云われる。彼等が還るのはロシアなのか、それとも崩壊したUSSRなのか、そのどちらでもないシベリアの大地なのか。答えは宙吊りにされている。
マッティ・ペロンパーは何なのだろうか。彼の黒鬚はユダヤ教徒っぽいがプール歩くのはキリストだろう。「救うのはキリストだ、モーゼは商売する」と云いつつ、パリサイ人めと楽団に鞭をふるのはキリストの模写である。聖書と共産党宣言が交互に読まれ、下らないと茶々が入る。レーニンの五か年計画がパロられる。
女性ボーカルでゴスペルが(レゲエタッチで)歌わる。ロックンロールは全然歌われない(ブルースは歌われる)。アメリカはCIAとともに嗤い飛ばされ、ラストでは孤独な「オーマイダーリン、クレメンタイン」で『荒野の決闘』がコケにされる。『東風』でハリウッドを総否定したゴダールが想起される。しかしそこでは同時にスターリンがコケにされていなかっただろうか。「独裁者」ペロンパーはスターリンなのだろうか。
チェコの湖のほとりでマッティ・ペロンパーは岩場に松の木を植えて火をつけ、顔を覆う。実にゴダール的なショットだ。しかし、ハリウッドとスターリンを並べて断罪したゴダールの小気味よさは本作にはない。だたキアロスタミの(モーゼに仮託した)コミュニズムに対するアンビバレントな意識が全編に蔓延しているのが痛切に伝わってくる。そんな映画と受け取った。
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