[コメント] 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生(1997/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
エヴァを原発のメタファーとして見たとしても、TV版は1〜24話目までは大変に優れていたように思う。 エヴァが原発なのだとしたら、何も知らされず決死の覚悟で世の中を救う任務につくことから逃げられないシンジは、さながら東電子会社の現場作業員に思えてくる。子会社であるがゆえにこそ親会社(TEPCO=NERV)の理不尽への反発は宿命的なものであるだろう。また己の運命に諦観的なレイには東電とは資本関係のない下請けの現場作業員(あるいは自衛隊員)の姿がかぶる。そのように見てしまえば、しばしば感情的になりながらも任務遂行に現場を駆り立てるミサトのふるまいは、TV初見時には理解できなかったが親会社の高級中間管理職のそれとして大変に腑に落ちる(ミサトが一番神経に障る存在だったのは自然な反応だったのだ!)。ゼーレは言わずもがなでしょう。
さて、こうして見てくると、TV版最終2話(25話、26話)は、別の意味でおさまりが悪い。24話までと人物描写が矛盾するのだ。 使徒との戦いを通して徐々に大人になってきたシンジが、25話では突然、物語中盤頃の精神年齢に退行してしまっている。これはかなり違和感がある。
この映画は24話までのダイジェストプラスアルファの追加シーンということで、その違和感が払拭されなければいけないはずだが、どうにもそう思えない。それは、この映画の完結が、TV版最終2話のアナザーストーリーとして企画されてしまったからだと思える。24話の続きは、攻殻ではないがセカンドギグとして、じっくり描かれるべきだった。そこでは父ゲンドウの物語が、そして母ユイの物語が展開されるべきだった。主題歌の歌詞にあるとおり、エヴァのラストは、設定上の謎の解決より、物語を神話レベルに昇華させるべきだったと思う。
蛇足:最終2話は思春期〜青春期の青少年が対象と思われ、大人が見てしまうとなんとも鼻白んでしまう。この口直しには『オースティン・パワーズ:デラックス』のドクターイーブル親子のカウンセリングのシーンが是非ともお奨めである。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。