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[コメント] 女優霊(1996/日)

怖い映画を見ているのでなく、見ていることが怖い映画。幽霊の正体は枯れ尾花でも、枯れ尾花の正体は…わからないから怖いの。〔3.5〕

子供の頃は、真昼に見る「あなたの知らない世界」でも十分に怖がることが出来た。それなのにふと気がつくと、自分はいつのまにか怖がることをしなくなっている。いつなにが変わったというのだろうか。おそらく、これは世界に対する感受性の変容なのだ。端的に言えば、子供には世界は不可知で無垢なものだった。映像はすべて現実と確たる境をもたない真実だった。それがいつしか、子供が自身と世界を自覚していくなかで、映像は虚構の分別をもって眺められるようになっていき、やがてはかつての無垢を失ってしまう。

「怖い」映画をつくること。それは映像(見ているもの)を怖いと感じる感受性を観客(見ていること)の内に呼び起こそうとすることだ。当然のことだが、映像の無垢が失われることはげしい現在では、その当然のことの為に映画をつくることの真っ当な自覚が必要になる。眼前に表象される映像(見ているもの)に生じた小さな違和感に視線を遣るうちに、その違和感がじわりとふくれあがっていき、やがて観客(見ていること)までを侵蝕し戦慄させる。巧いと思う(脚本の妙)。

たとえば『シックス・センス』に描き出されるような幽霊と比べると、違いが判然とするのではあるまいか。あれはどうしてもハリウッドの映画なのだ。つまりあちらの映画は物語を土台とした上で映像を具体として表象しており、物語自体の存在(幽霊自体の存在)は疑われないのだ。幽霊が死人の魂に過ぎないのなら、それが判然とした時点で得体の知れない恐怖は消え去ってしまう。その幽霊は、物語の断片に浮かびあがるおぼろげな影として物語という現実を侵食するということはない。

(評価:★3)

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