[コメント] 砂の女(1964/日)
“砂”を受け入れた男。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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たぶんに哲学的なテーマをはらんだ作品ではあるが、蟻地獄にはまった人間が如何にしてそこから脱出するか、そのスリラー的な面白さや、動物的な岸田今日子の存在感に圧倒され、退屈とは無縁だった。映画がエンターテインメントであることを忘れないその姿勢をまず第一に評価したい。
注目すべきは、共同生活をする二人に名前が与えられていないことだ。女がなぜ砂の中で生活しなければならないのか、その説明も知らされない。そんなことはどうでもいいかのごとく。社会生活を営む上では必要となる事象もこの世界では通用しない、そんな不条理さを感じずに入られなかった。
砂をモチーフにした“抗うことの出来ない巨大なもの”も印象的だった(砂の演出に、SF的なスペクタクルを感じさせて見事だった)。当初、名もなき男はそれに抵抗する。
だが男はやがてそれを受け入れ、砂の家こそ現実の世界と認識し、居心地のよさを感じていく。彼の取った選択、それは湧き出る水を発見し生きがいを見出しただけでなく、砂の家から出ることが出来なくなってしまったからなのだ。
そうして男は“砂の男”になることを決意する。彼は、自分を必要とする世界を自分も必要としたのだ、そう解釈したとき、僕自身が、この世界に惹かれ、居心地のよさを感じてしまう理由が分かったような気がした。
“自分が必要とされること”ほど何事にも変えがたい宝はないからだ。
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