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[コメント] 砂の女(1964/日)

人は生きるために働くのか働くために生きるのか。人間の尊厳と存在証明。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







公開エッチを強要しますね。「みんなそれがいいと言ってる」と言うのです。これが民主主義です。なんて恐ろしい。

30年ぶりくらいに観たかなあ。映画館で観たのは初めて。 私は長いこと『裸の島』と並ぶ「生きるって辛いことなのねヨヨヨ(泣)」と生きる意味を考える映画という印象を持ってたんですけど、今回再鑑賞して印象が変わった。映像美と岸田今日子のインパクトは変わらなかったけど。

オープニングタイトルで、出演者やスタッフの名前の横に「捺印」があります。面白いなぁ、斬新だなぁ、格好いいなぁと思うとったんじゃ、若い頃は(<なぜ急に爺さん口調?)。いや、今見ても格好いいんですよ。「勅使河原宏」なんて印鑑、すげー格好いい。 でもそんなことが狙いじゃない。押印って(日本では)人間の存在証明なんです。

安部公房原作・脚本、勅使河原宏監督の長編映画は4本あります。『おとし穴』『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』。これ全部、人が消える話なのです。 そこには時代感もあったでしょう。失踪者が多かったんですよ、この時代。松本清張も失踪物が多いし、テレビでは70年代くらいまで「人探し」番組もやってましたよ。 60年代、日本の高度成長期は「政治(闘争)の時代」と「失踪の時代」がセットだったんだろうと思うのです。急激な社会変化が闘争か失踪に繋がったのでしょう。勝手な推測ですけど。

岸田今日子が言うんです。 「砂がなかったら私なんかかまってもらえない」。 これは彼女の存在証明なのです。 労働力として、そして女として、男を手放したくなかった。

一方、岡田英次演じる男は、図鑑に名を残したい(この世に永久に名を残したい)と願います。これが彼が元々求めていた存在証明です。 しかし彼は、、女からは「お客さん」と呼ばれ、村人からは「助っ人」と呼ばれ、早々にその存在が希薄になります。学校の先生であることが彼にとっての唯一の存在証明であり、「誰か心配してるはずだ」「助けに来るはずだ」と願う。この地からの脱出だけが意図ではなく、彼自身の存在を確かめているのです。

そして話は、まるでマズローの欲求段階説のような展開をみせるのです。 生きるための最低限の欲求が満たされ、愛欲の欲求も満たされた彼は、「承認欲求」を求めるようになる。つまり、水の抽出実験に成功したことを誰かに話したい、話すことで他者に認められたい、という欲求です。この社会で自分が必要な存在だと誰かに評価されたい。原始的欲求から社会的欲求への進化。 それは、彼がこの地で新たに見つけた「存在価値」であり、それを証明したくなるのです。 そして、世界に永久に名を残したいと願った彼は、逆にこの世界からその存在を抹消されるに至るのです。

「人は生きるために働くのか、働くために生きるのか」

この映画を観た時に最初に思い浮かぶ問いです。この問いは、本作の表層的な主題であると同時に、我々社会で働く者に対してその「存在理由」をも問う主題です。60年代という時代の問いでありながら、現在の我々にも通じる問い。むしろ今だからこそ、自身の「存在証明」は何なのか(自尊感=自己肯定力と言ってもいい)考える必要があるのかもしれません。 まずは、シャワーを浴びてサッパリしよう。

(17.07.31 ラピュタ阿佐ヶ谷にて再鑑賞)

(評価:★5)

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