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[コメント] 非行少女(1963/日)

不幸のデフスパイラル。浦山桐郎の一人鬼畜大宴会。和泉雅子の可憐な美貌と白いブルマズロース。そのタバコの吸いっぷりの堂に入り方。
ボイス母

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







貧乏は不幸を呼び、その不幸は更なる不幸を呼び、「おぉ、コレはいわゆる日本版『大人は判ってくれない』か?」と見始めたら、途中から『長距離走者の孤独』になり、「この映画、スゴイかも」とゴキュッと生唾を飲み込んだ時点ですっかりこの映画に取り込まれてしまった。

「あぁ、そうそう。こんな時代だった!」とオボロな記憶を掻き分け、当時の「非行少女」たちの面影を思い出す。

女は男に嬲られ、いいように食い物にされ、怒られ,叩かれ、タマに優しくされたかと思うとプイと捨てられる。

その「翻弄される女というもの」は常に浦山監督のテーマであった訳だが、その晩年には『夢千代日記』という、トンデモ爆笑系メロドラマに着地点を見いだしたのが残念至極である。 しかし、この時点(『非行少女』を撮影した昭和三十年代)ではそのテーマは生き生きと息づいて、説得力を持って観客に差し出される。

この「女を嬲る時の浦山監督の嬉しそうな手技」と言ったらいやはや。 この火がついて爆走する養鶏場のニワトリを冷徹に見つめ、フィルムに定着させようとするカメラと同じ。全くのイコール。

可憐な和泉雅子を業火の中に放り込んで、その髪の毛からモウモウと煙がたなびくくらいに追い込んで見せる。 「うーむ、日本一の鬼畜監督だなあ」

溝口の優しさも無い、増村の強さも無い。 ただ運命に翻弄されながら、地を這いながら、ソレでも生きようと。人を愛していたいと願うその「女の心」を克明に描こうとする。

女を追いつめ嬲りながら、その美しさを抽出しようとする。 やはり、トンデモナイ監督である。

追記=窓越しの雪が降りしきる中でのキスシーンは美しかった!まるで『ロミオとジュリエット』みたいじゃないですか。 こんな部分も上手だ>浦山監督。

(評価:★4)

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