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[コメント] 永遠の人(1961/日)

これが木下恵介作品かと見まがうばかりの悪意に満ちた復讐劇。憎しみの鬼と化した高峰秀子の執念が屋敷に蔓延するさまが何とも不気味で恐ろしく、文字通り阿蘇の麓の屋敷の中でその呪縛にからめられ懸命にもがく仲代達矢の強弁が哀れである。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この作品の二組の夫婦が「喜びも悲しみも幾年月」で描かれた理想的夫婦像と表裏を成している点も興味深い。

同じ日中戦争開始当時の昭和7年から、太平洋戦争の開戦と敗戦、そして戦後の混乱期を経て経済成長期に入る昭和30年代が背景でありながら、あの『喜びも悲しみも幾年月』の灯台守り夫婦(佐田啓二高峰秀子)が、見合い結婚の初々しい恥じらいからその生活をスタートし日本全国を巡りつつ健全な「苦難」の道を歩む「愛情」の物語であったのに対し、この小清水夫婦(仲代達矢高峰秀子)は、妬みと強姦と別離という怨念からスタートし、互いの想いに呪縛されるように阿蘇の地を離れることなく「苦渋」の道を歩む「愛憎」の物語である。さらに隆夫婦(佐田啓二音羽信子)もまた、貧困の中を猜疑心と病ともに生きなければならない不幸な男と女である。

本作の終末においても木下恵介らしい和解が暗示されるものの、作品全体を貫く憎しみと悪意は寒々しく強烈である。これは、全ては善から始まり「善意」のみが救いであるという木下恵介の信念の裏に潜む、「悪意」に対する強烈な嫌悪が生んだ作品だと解釈するべきなのだろう。

(評価:★5)

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