[コメント] ニュー・シネマ・パラダイス(1988/仏=伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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かの有名なラストシーンについて。 この映画を初めて観た時、私は映画とほとんど関わりのない文化の中で育っていた真っ最中だった。家族が映画を観ない人たちだったため、映画を観た記憶といったら、中学の頃、好きな男の子とタイタニックを観に行ったことぐらいだ。 よって自分が映画好き、と思ったことはないし、映画において人が死ぬシーン以外で自分が感動に涙するとは考えたこともなかった。 周囲の人、また同様に、自分のこの映画への思い入れの度合いを考えると、ラストシーンの感動の理由を分析することぐらい無意味なことはないのであろうが、一応自分なりの解釈を。
走馬灯がまわっている、とはこのことなのではないだろうか。 人間はみんな多大な人生経験を重ね、記憶を重ね、確実にラストを迎えて死んでいく。 一つ一つの出会いには小さな死がつきまとう。 私は恋が終わる度に、身内が死んだ時、中学の頃同級生が死んだ時、近所の子供が死んだ時のことを思い出す。あの時の衝撃と喪失感と胸の痛みは、失恋のとき感じるものと非常に近い。
ラストシーンで、私は「別れ」という言葉を強烈に感じた。 この作品は、サルバトーレという人間の、アルフレッドの死、映画館の取り壊し、またエレナとの再会と別れ(このエピソードは完全版のみ)、いろいろなものとの決別の映画だと思う。 別れとは小さな死だ。
人は必ず何かと決別する時に、共に過ごした時を一瞬でなぞる走馬灯を観る。 この映画がここまで観る人に感動を与えるのは、ラストのたくさんのキスシーンの中に、自らの人生で涙を振り絞るような苦痛と共に決別してきたものを観るからではないだろうか。
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