[コメント] ウンタマギルー(1989/日)
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ギル―小林薫は親方から逃げた逃亡先の森で呪術を学び、何でそうなるのかよく判らなかったのだが、義賊になって米軍から武器盗んで独立党に配る。サングラスかけた米高等弁務官ジョン・セイルズは演説で、沖縄は独立しない限り自治など神話にすぎない、日本に復帰しても私は絶対者であり続けると星条旗バックに語る。独立党はギル―から貰った豚肉の鍋を日本人にひっくり返され(彼等だけが本作で日本語を喋る)、製材置き場で三線でインターナショナル唄い琉球政府と銃撃戦。「米の日本も祖国ではない。琉球こそわが祖国」とギル―は語る。高等弁務官は人に化ける豚から血液の点滴受けている。
本作は運玉義留の義賊の民話から取られており、金の枕を首里王から盗む話は終盤の舞台にかかっている(相手は薩摩商人に直されている)。本作の主張は明らかだが、それ以上の政治はなく、もっぱら文化の消失が嘆かれる。本土復帰決定で舞台であった精糖工場は自爆され、ギル―の死と再生に未来が繋がれる。それは判るのだが、もうひとつ興味が湧かない。唯一いいのは照屋林助の沖縄民謡弾き語りで、♪日本復帰だドンドンドンとトークングブルースのように唄で時代を語り、集団でやたら踊りまくる。この文化は本作の危惧をよそに現在も活発なように思われる。照屋の散髪屋の役処も人柄がにじみ出るいい造形だった。
その他は大したことがない。動物占い師の娼婦戸川純とか、豚の化身の青山知可子とか、人の夢を見て文句云う間好子とか、過食症の平良トミとか、土喰らう呪いだとか、余りにもガルシア=マルケスの影響強く殆どパクリだし、沖縄に密着したものが見えなかった。平良進はその筋の重鎮らしいが映画向けとは思われず、善悪超えた盲人の親方役は肉付けに乏しくて平凡に終わった。
興味深いのは山人のようなギムジナー宮里榮弘で、これは輸入南米文学よりずっと古くからの主題。沖縄にもあるのだった。森から工場の境界までやってきて小林薫と物々交換をしている。腐った魚など持ってくる。乞われれば鎌振り回す舞踏を踊り、工場の荷役もする。そして運玉森へ逃げた小林薫に空飛ぶ術を伝授もする。胡坐かいたまま浮遊する姿は麻原を想起させる。影響関係があったのではないか。この浮遊の撮影は驚くほど巧く撮れており、現代のCGより光学処理に優れている。本作最大の収穫はここだった。
器械器具の連発もこのジャンルらしい処で、サトウキビの精糖場の碾き臼を棒つけた三輪トラックでグルグル回すのが面白い。火事の後、寂れた精糖場では水牛が回している。他、水タバコのシーシャ(燻した淫豚草を吸うとある)とか、アリの巣の蜜を垂らす氷嚢みたいな装置とか。これらはリアルなものなのだろうか。戸川が飼っている四匹の山羊が素敵だった。パルコ製作。再見。
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