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[コメント] 日本侠客伝 血斗神田祭り(1966/日)

規格に変更を加えたものの、その説明に終始。最終的にやることは一緒なので、任侠モノの枠組を大きくはみ出す意義が見出せない。総じて台詞に頼り過ぎで、実は自由に撮るの下手クソなことを露呈。
G31

人工衛星は軌道修正に失敗すると、地上に落下するか宇宙空間の彼方へ永遠の旅路を続けるかの選択肢しかなくなる。微妙なバランス計算の上にしか成立し得ない任侠道なる限りなく狭い軌道にいたずらに変更を施せば、もはやどんな手立てを講じても修正のしようはなく、ひたすら軌道から離れていくのみ。皮肉なのは、そんな任侠道なる価値観が現実世界に成立するはずもなく、映画という虚構で築かれた世界にのみかろうじて成立を見るものに過ぎないのに、その同じスクリーン上で無惨な破綻を見せられることである。

その証拠に、そんな中でもきちんと型の出来あがった藤純子高倉健が、見事なまでに侠気を表現し得ている。だが残念ながら、二人の侠気の軌道を、任侠道という枠組の中では決して交わる事のない設定にしてしまったが故に、どんなに寄せてみせたところで、二つの軌道が一つの侠気を演ずることにならない。あるいは、夫の親友と親友の妻という二つの軌道の接近が、仮に何かを表現していたとして、それはもはや侠気ではない。

鶴田浩二はいつもそこそこいい。そこそこいいけど、華がない。だが彼ほど“堕ちた偶像”の似合う男もいないので、そっち方面で頑張ってくれればいい。

藤山寛美は論外。個人的には彼の演技を初めてスクリーンで見ることが出来て得した気分だ(さすがに芸は達者)が、映画の中では浮いている。野際陽子は老けてからの方が綺麗(これは失礼)。

余計な設定がことごとく裏目で、逆に任侠映画の自由度の低さを証明した。マキノ雅弘は職人的な名人芸は持っていても、何もない宇宙空間を自由に遊泳するのは苦手なのかもしれないね。そんな事が出来る人は数少ないが。60/100

***

中野任侠映画入門、とりあえず12本見ました。中野武蔵野ホールさん、面白い企画をどうもありがとう。またよろしくね。

(評価:★2)

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