[コメント] BOXER JOE(1995/日)
辰吉丈一郎に対する阪本順冶の尊敬と愛情が映画から滲み出している。それは、辰吉というボクサーがまぎれもなく大衆に興奮と陶酔を与える表現者であり、同じ表現者としての阪本の同士意識と憧れに近い共感がこの作品の底に流れているからだ。
ドキュメンタリーには作家の強い「意志」が必要だ。だからこそ、より表現意欲の高い作家は撮影媒体としてビデオではなくフィルムを選ぶ。
カメラを回し続けるという「意志」にはビデオが有効であり、時としてビデオは観察者の意図を超えた「被写体の何か」を写しとり成果を上げることがある。しかし、それは一方では観察者の受身の姿勢を示しているともいえる。
阪本順冶は辰吉丈一郎に対する思いを表現するにあったって、その「意志」を明確に組みたてることができるフィルムという手段を選んだ。カメラマン笠松則通と田中一成が意図的に、そして的確に切り取った辰吉とその家族達の映像と、阪本監督がしかけたドラマパートのみごとな融合はフィルムドキュメンタリーの力を存分に示して見せた。
このセミドキュメンタリーは、昨今のビデオドキュメンタリーに慣らされてしまった私には、行間から思いが滲み出している手書きのラブレターのように見える。
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