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[コメント] 悪は存在しない(2023/日)

悪は存在しないが、
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







利己は存在するということ? もしくは罪はあるということか。

東京の芸能事務所一派の利己主義は言うに及ばずだが、かといってこの村の住人たちがそれに対抗する、たとえば利他的で包摂的な要素をもった集団かというとそうでもなくて、主人公の男を筆頭にどうも自分のこと(自分「たち」のことではなく)しか関心がないように感じる。説明会での態度も開発に頭から反対するのではなく、うまく利益を引っ張れないかどうか探っている感じがする。しょっちゅう子どもの迎えを忘れる父親は何に夢中になっているのか? もともと今の生活がすでに煮詰まっていてぼんやりしているのか、開発話が舞い込んできてからこうなのかよくわからないが、「あ(いっけね〜)」じゃないよ、お前。周りの村人もいつものことと笑っているか、あんまり遠くまで行っちゃだめだよ〜とか、およそ真剣味のない態度だし、子どもをほったらかしにしている父親に誰も注意もしない。説明会にきた男女の社員の似顔絵と紅白梅図屏風風の川のイラストを描き、川は低いほうへ流れるなどと書いているのも考えてみればちょっと異常だし、子どもに絵が描けないと言っている態度は確かに「悪」ではないが、背中に蹴りを入れる子どもの言うように身勝手ではないか。森の中で力尽きるラストは、その最悪の結果を生んだものは「悪」ではないのだが、それに近しい何かである、と監督は言いたかったのだろうか。そんなふうに思った。

しかしこの物語その「悪は存在しない(のだが〇〇は存在する)」というテーマのための作劇という感じがする。特に開発話が持ち上がったこの村の人々の、本来あるべき生活感が描かれていないような気がする。繰り返すが父親は子どもの迎えをなぜ「いつも」忘れるのか? ドラマの都合上迎えに行くのを忘れる設定のために忘れているようにしか見えない。蒔割りしてこの十年で一番の快感でしたとかいって、村の現実も知らないうちに己の快感を満たそうとする都会人が不条理に首を絞められるのは、その独りよがりな行動理由によるものだから裁きを受けても仕方ないということにしておくとしても、「黙ってろ鹿が暴れる」と口を塞ぐだけでもよいような気もする。この全体に寓話風で現実の熱を感じない作劇に、濱口メソッドの棒読みふう台詞が本作には悪い効果を及ぼしているように感じたのだった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)緑雨[*] ペンクロフ[*]

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