[コメント] イニシェリン島の精霊(2022/英)
コリン・ファレルを沈思させれば、文法上は彼の主観に入ったことになり、境界知能に自省が生じたと思わせる。しかし直後の行動で、男は学習を拒絶し自らの自意識の欠落を表明し、受け手との視点の同期は誤解だったと判明させる。
この手の視差やストーキングはサイコ映画の定型であるが、特異なのは境界知能を同調圧力と解してしまう社会化の有様であり、庶民憎悪と区別がつかない点で前作よりも後退している。境界知能に自省が生じない前提も現実の臨床像に反するだろう。指を切るのもわからない。ケリー・コンドンのように脱島すれば終わる話に見える。総じて理念に話が引きずられているのではないか。
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