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[コメント] 恋のいばら(2022/日)

女は眠り姫なのかゾンビなのか。眠り姫は王子の口づけで目覚められるが、ゾンビは既に死んでいる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







割と悪くないなと思いながら観ていたのだが、終盤になっての急な失速が痛い。

桃(松本穂香)が「元カレ」である健太朗(渡邊圭祐)の部屋で、ビーフジャーキーを食べてしゃっくりを起こした莉子(玉城ティナ)に、「私、健太朗の元カノじゃないんだ」と驚かす言葉を吐くのだが、それに続く回想シーンで、桃がレストランで健太朗から告げられた言葉というのが、付き合ってくださいとかいう言葉を交わしたことなんかないんだから、そもそも付き合ってもないよね、というもの。彼が桃の部屋に忘れた鍵から勝手に合い鍵を作った彼女の行動に引いてしまっての言葉なのか、或いは既に莉子と付き合っていたからそっちに乗り換えたかったのか。が、このレストランで別れを告げられる回想シーン、一度目のときには、ナポリタンを詰まらせてしゃっくり起こした桃が、「なにか驚かせること言ってよ」と言うと「もう終わりにしよう」と返されて驚くという展開だった。二度目の際には、この台詞よりも、「そもそも付き合ってもない」という台詞の方にこそ驚きがないといけないのだが、それが演出され得ていない。桃の「元カノじゃないんだ」という告白で、それまで見てきた莉子と桃と健太朗の関係性が一気に覆され、世界が一変してしまうかと思われたのが、その、観客(と莉子)が受けた驚きが、なんだ男の都合のいいレトリックか、というつまらなさに回収されてしまう。この男がそうした言葉を吐きかねないことは既に、莉子と桃が男の部屋で見つけた数々の女たちの写真から予想できるから、こんな台詞になど今さら驚かない。

ここからの、莉子と桃が男のベッドに横たわって延々と喋っている長回しワンカットは、本来ならもっと、様々な感情を経て、また互いにぶつけ合ってもきた二人が、全ての闘いが終わって燃え尽きたあとの燻ぶりさえもが果てるのを待つような脱力感と解放感と一抹の寂寥感が欲しいところなのだが、なんとも他愛のないつまらない会話を延々続けるので、もどかしいというか、むず痒いというか。

序盤で莉子が密かに健太朗の部屋から持ち出す写真集。まったく同じ物を代わりに置いて、自分が持ち出した方はゴミ捨て場に置くという謎めいた行動なのだが、これは終盤、図書館で彼が探していたその絶版の写真集を桃がプレゼントしたのを莉子が嫉妬しての行為だったと判明する。絶版となると、印刷物でも稀少性、唯一性が生まれるのだが、それを、そっくり同じ本に置き換えるという形で莉子は、桃の行為それ自体の唯一性、交換不可能性を密かに奪う。それをゴミ捨て場から拾い上げた桃が、そこに挿んであった莉子の寝顔の写真の、眠り姫のような美しさに心打たれて涙するというラストカットはなんとも皮肉。この写真集が開かれるシーンでは、中に載っているのは女性の唇。眠り姫を覚ます口づけを連想させる。

健太朗は二人にとっては酷い男となるのだが、全体を通しては、むしろ女性に対して優しい男として描かれている。写真家の彼は、モデルの女性がセクハラ気味の要求を受けたのに対しては抗議するし、認知症と思しき祖母に対して、苛立ちもせず、優しく接する。若く美しい女性に対しては、その優しさは欲望の眼差しへと至るのであり、セックスすることも、性的な写真を撮ることも、美しいものを我が物としたいという欲望の表われだ。だから、彼がモノ扱いもせず終始優しく接しているのは祖母一人なのだ。この祖母は、言ってみれば、眠り姫のように夢の世界にいて、現実世界においては、同じ行動を繰り返すゾンビのようでもある。ゴミを拾って持って帰るという行為の反復の果てに、ガラクタで作られた眠り姫のお城がある。その純粋性は桃や莉子をも癒す。

交換可能な存在とされたくない、唯一の存在でいたかった莉子と桃が、健太朗の部屋に侵入するために、合い鍵(つまりコピー、交換可能性そのもの)作りに奮闘するというのがまた皮肉なのだが、結局、苦労して得た合い鍵は役に立たない。鍵代わりとなるのは健太朗の祖母であり、彼女の好きなビー玉を庭に置いて、猫を餌で誘うようにしてその傍らをこっそり通り抜けて侵入に成功する。

その合い鍵作りに際しては、莉子と健太朗がゾンビ映画を観ている隙に桃が鍵屋に行くという策が用いられるが、桃がそのチケットカウンターで渡されるのが、「ゾンビの気分で味わってください」というビーフジャーキー。あとで莉子がわざと健太朗と抱き合って、かつて桃と健太朗が会う光景を見せられたことへの復讐をするのだが、それをクローゼットの中から涙しながら見る桃はビーフジャーキーを食らう。男への未練と嫉妬で、死肉(失われた愛)を食らうゾンビと化したかに思えたのだが、あとで彼女が言うには、「莉子のあんな姿見たくなかった」。男への未練を否定する強がりかとも取れる言葉だが、あのラストカットを見たあとでは、彼女の中では健太朗よりも、健太朗に愛され、またそれが当然であるような美しい姫に憧れる気持ちの方が優っていたのだと思える。桃のかじったビーフジャーキーを口にした莉子がしゃっくりを起こすのは、死肉を食らったせいで彼女もゾンビ女の桃と同じしゃっくりを起こしたかに見えたが、そこで桃が口にするのが「元カノじゃない」という告白。やはりどこまでいっても桃の方がゾンビなのだという哀しみがそこにはある。だからこそ桃は、健太朗が眠り姫として愛でて撮った莉子の写真に涙するのだ。

桃と莉子によって蹂躙された部屋を目の当たりにした健太朗は莉子に電話をかけるが、「そもそも私たち付き合ってないよね?」という言葉を受けてしまう。莉子が桃の代わりに意趣返しした形であり、ビーフジャーキーを介して自身もゾンビと化した(それを生きているつもりでいた恋の空疎さに気づかされた)莉子が、今度は健太朗に噛みついて彼をゾンビ化したと言える。

その後のシーンで健太朗が、スタジオで撮影しているのは生身の女性ではなく、顔も四肢もないマネキンに下着をつけたもの。そこで目に入った雑誌に、知った顔のモデルが載っているのを見つけ、「何これ」と驚く彼に助手は、彼女が玉の輿に乗って話題になっていることを告げる。「知らないんですか?」と訊かれた健太朗の「興味ないから」という言葉は、眼前にいて彼と一対一でいる女性に対しては関心もあり優しさも示す彼が、自分の視界の外でもその女性が生きて存在していることは丸っきり頭にないことを感じさせる。そんな彼が外に出ると、莉子と桃が彼の部屋で散らした枕の羽根のように舞う桜吹雪。女性たちは健太朗の手の届かぬ宙を自由に舞い踊るというわけだ。モデルが、なんだか面倒臭そうな業界男から、衣装の肩紐を下ろせと要求されたシーンでの、「モデルの目がもう死んでるんで」と抗議した健太朗の、騎士的、王子的な態度。「目が死んでいる」と、眼前の女性がゾンビ化することには立ち向かう男が、自身、知らぬ間に、付き合ってきた女性をゾンビと化していたことには気づかなかったのだ。

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