[コメント] 残像(2016/ポーランド)
私にはわからないが、芸術とはあいまいで、もやもやとしたものだと思う。だから劇中、ストゥシェミンスキが当局に求められたものは、端から見ればホンのちょっとしたことなのかもしれない。
露骨に作風を変えたり、社会主義リアリズムを率先して全面的に賛美したり、ということでなくとも、ただ当局の推進に高名な芸術家として「沈黙による同意」めいたものを示すだけでも良かったのかも知れない。
曖昧であやふやなものだから、芸術に疎い私のようなものは、高名な芸術家であるストゥシェミンスキも認めたのだから、社会主義リアリズムはすばらしいのだろうと思ってしまうが、それが彼の芸術家としての矜持に反することだったなんて夢に思わずそういうものか、で済ますだろう。
そして、ストゥシェミンスキの、些細な譲歩、妥協があれば、徹底した迫害はされず、芸術家として認可され、ひょっとしたらその「視覚理論」だって一言、社会主義リアリズムへの同意が示されていれば、出版も認められていたのかも知れない。
それでも己の芸術への信念に従い、膝を屈することをしない。これこそがワイダ監督が描きたかったことなのだろう。
そしてその姿勢は、けして独善的なものではない。なぜなら監督が愛し、殉じた芸術は曖昧であやふやなものだから。
劇中、ワイダ監督は社会主義的リアリズムへの盲目的な追従と強権による賛同の強制には強烈な嫌悪を示しても、社会主義リアリズムとされる諸作品そのものは客観的に示したにとどまったように見えた。
芸術である以上、自分にはとことんあわない、好きでない、嫌いだ、ということはあっても、それ故にけなすことはしない。その抑制された姿は真の理性の持ち主として見上げたものだと思う。
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