[コメント] 水の声を聞く(2014/日)
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不真面目だった事柄に途中から意義を認めて本気になる物語類型で、『生きる』と同パターン。投げやりな新興宗教教祖という前半も面白い。教祖は特別な力はなくても、特別な力があると信じさせる力が大切なのだと語られる。オーラが出ていると云って誉めそやすアイドルから、そこはもう一歩なのだろう。水槽の水のお告げだとエコな説話が安っぽく語られる。コンサルと事業計画書やシナリオの打ち合わせなどしているのがすごい。これはリアルなんだろうか。
事業の友達がコンサルに紹介されたライブハウスでの別枠の宗教に愉しそうに参画して踊っているのがリアルだ。宗教に親和性の強い人物を描いて的確と思われた。一方、本当に困っている人たちを前にして主人公は煮詰まり、事務室でもう限界なのと叫ぶ。信者の事務員が、貴女はもう貴女だけの存在じゃないと云うのもアイドル事務所と並行関係にある。
煮詰まった教祖玄理は祖母の知古を訪ねる。自分の在日一世の祖母が済州島の事件(モノクロ写真で回想される)の鎮魂のために渡韓して日本に帰らなかったという逸話に感じ入る。神の真似をしてきた自分はバチが当たるという主人公に、老婆たちは、神々はそんなに心が狭くないと云う。この科白が見事な転結点となっている。主人公は巫女の踊りを学び、真剣に儒教に取り組み始める。銅鑼が鳴り剣が振り回され、適当だった舞踏がマジになる。
樹木に耳をあてて何が聴こえたか。タイトルから水の声が聴こえただろうと想像される。祈りには力がある、世界を救うのだ。そしてここが重要なのだが、教団にカムバックすると、教祖は貧者から金を受け取らなくなる。出費が増えて教団は傾く。新興宗教とその経営は基本的に矛盾するのだと的確に指摘している。そしてコンサルから追い出される。「人のために祈れば自分のために祈ることになる」という滝での祈りは潰される。
教祖は最後は自らも済州島に渡る。本邦にも彼女に救いを求める人々が犇めいていた訳で、彼等が見捨てられるのは切ないものがある。跡継ぎの教祖もいるしいいやということだったか。似非教祖めと娘を恐喝し、ボス殺してしまって途中で教団に入ってしまう父親が面白い。ボスが生きていて更生できず連れ去られる収束のどうしようもなさ。娘の教祖はこの父を一顧だにしない。彼女は済州島を選んだのだった。
終盤のレイプは大した意味がなく、ギドクの『弓』辺りの模倣でギドク風に盛り上げようという意図しか伝わらなかった。事件をかき回して最後に土佐衛門になる中学生マモルも半端で盛り込み過ぎの印象。しかし、こういう力技のやり過ぎこそが作風なのだろう。新宿が舞台だが道玄坂でのロケが混じる。
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