コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 美女と野獣(2017/米)

アニメ→実写の優等生。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「美女と野獣」は舞台や映画の素材としては非常に好まれるもので、映画でもかなり古くから作られ続けている。特にコクトー監督による『美女と野獣』(1946)はその後の映画史にも大きな影響を及ぼすことになったが、それを見事引き継いだのがディズニーによるアニメーション映画『美女と野獣』(1991)となる。この作品はディズニーにとっては本当に久しぶりのアニメのヒット作で、この作品をきっかけにディズニーは再びアニメーションでの地位を確立していく。このアニメ版は映画史に残るトピックと言っても良かろう。

 そして何より、このアニメは後年の映画作りを目指す人たちの目標ともなった。子ども達に繰り返し見せる定番アニメとして、幼少期にこの作品と共に育った子も多く存在し、アニメーションクリエイターとしても、この作品を目指す人も多い。

 そんな意味ではこの実写化はその結晶であると言えるだろう。

 作品そのものの出来は確かに素晴らしい。作りはきちんとしているし、キャラも演出も良い。実に優等生的な作りだし、演出の盛り上げ方もなかなか巧く、後半の圧巻のダンスシーンにはぐっと引き込まれもする。

 ただ、“優等生”という作り以外に評価出来ないのが本作の問題点だろうか。

 そもそもディズニーは過去から伝統的に脱臭された物語を作り続けてきた。“こども向き”という建前で、残酷なシーンはカットし、死人も出来るだけでないように配慮し、場合によっては肉食獣と草食獣を仲良くさせたりとか、あり得ないような優しさを押しつける。

 それは確かに一つの価値観ではある。しかし、口触りの良い物語だけを提供する作りは、本来の物語を持つ広がりを阻害する。しかも酷いのはディズニーで育った人は、それが本来の物語だと思い込んでしまったりする。ある種文化の破壊でもある。

 本作の場合どうだろうか。

 まず原作の場合、どんな姿でも、どんな性格でも受け入れる覚悟というのをお互いに持つことが“愛する”ことにつながり、それを乗り越えていくことによって本当の人間性とは何か。ということを考えていたはず。

 だが本作のベルは自分以外に興味が無い。世界を知りたいのも自分の視野を広げる為だし、野獣を愛するのも彼は自分の為に知識を提供してくれる。そのためやってることは全編を通して自分探しになってしまい、献身とか思いやりとか全部置き忘れたキャラになってしまい、困難を乗り越えて、愛すると言う構図が全くない。全部自分個人の中の問題で終わってる。

 そう言う女性であると言う設定で物語が作られているのならそれでも良い(同じくディズニーの『塔の上のラプンツェル』(2010)なんかはそう言う物語だった)。だけど「美女と野獣」の主題からは、どうにもずれてる。なんせ愛の物語が自分探しの物語に変質してるのだから。

 そして原作の持つ不気味さやホラー性は全くなくなってしまったことも問題。最初から最後まで安心して観られる作りになるが、その分本来の物語の持つ、“愛の力の強さ”がとても薄れてしまい安っぽくなった。

 そもそも野獣が格好良すぎて、別段このまま不細工な人間にならんでもよくね?と思わせてしまうところ。野獣が怖くないので魅力が無い。

 この作品では野獣はほとんどまんまヒーローそのもの。自分が異形の姿になってしまい、悩む主人公が、それでも人間の為に戦い続けるという、初期の「仮面ライダー」そのものの設定になってる。野獣がここまで美化されてしまうと、流石にうんざりする。

 現代的かも知れないけど、流石に脱臭しすぎだろ。

 最初からアニメ版を観ていて、物語があんなもんだと思ってる人にとっては全く気にならないだろうから、こんなことを言っても仕方ないのだが、私にはどうにも居心地が悪い作品になってしまった。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。