[コメント] 愛は降る星のかなたに(1956/日)
散漫な印象を受けるのは、キャラクターがそれぞれに身勝手に動くのみでその間を取りまとめる者がないからだろう。唯一森雅之の存在はあれど、家庭に仕事を持ち込まない彼ではどうにもならない。まして山根寿子の「愛」は森の退場をもってはじめて表に噴出する感情であり、テーマとも成り得ないものでしかない。
唯一印象に残るのは、浅丘ルリ子が両親を呼ぶときの「父」「母」という呼称。これはなかなかに異様で可愛らしい。
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