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[コメント] イヌミチ(2014/日)

原案はThe Stoogesの“I Wanna Be Your Dog”。この題材にもかかわらず性と犯罪の匂いがほぼ封じ込められているというのは、男女の関係性をあくまでも「飼い主」と「犬」のそれとして制御しきったという点で映画の主調を損なわない演出力を証すものである一方、どこか物足りなさを覚えることも否めない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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むろんすこぶる面白い映画なのだが、制作/公開規模の小ささや上映時間の短さといった事柄とは関係なしに、やはりこれは万田邦敏にとって小品にすぎない。というよりも、小品「でなければならない」。いつかこの寡作家のフィルモグラフィが完結したとき、それは『イヌミチ』が最重要作として振り返られる程度に貧しいものであってはならない。観客としてそれを許してはならない。だから、これはむしろ、矢野昌幸を世に送り出した映画として記憶されるべきだと云おう。顔面に薄笑いを貼りつけたまま平然と土下座を敢行できる男。その絶妙に理解(共感)不能な矢野のキャラクタリゼーションが映画にサスペンスの原動力をもたらしている。実に癖になる顔面の所有者だ。

一方の永山由里恵は、多くは賃労働者でもあるだろう観客にとって、少なくとも矢野よりは親しい造型に違いない。事実、映画は中途までもっぱら彼女の視点でもって語られる。ところが犬化後の彼女が同僚らに送信する決別の(?)メッセージがただ「イヌ」の一語に犬の絵文字を添えたものであるという、これもまた絶妙な意味不明に対しては、彼自身が著した脚本ではないにしてもさすがの万田クォリティだと云いたくなる。

さて、この変則を窮めた「犬」と「飼い主」の物語が画面の組み立てを通じて「映画」化される際、そこにたとえば犬と人間それぞれのアイレベル・アングルで撮られたカットが交錯するというのは少しく順当に過ぎたコンテだろう。それよりも私は永山による犬アクションの変遷に感動を覚えてみたい。犬化した彼女は犬らしく四つ足で歩こうとする。が、どうも犬らしく見えない。四つ足といっても、足裏ではなく両の膝を地につけた姿勢、そしてそのおぼつかない動作は犬というよりも人間の乳児の匍匐ではないのか。となれば言語の不完全性=喋れないことも、犬というより人間の乳児のそれのように思えてくる。しかし、時の経過が彼女の犬化の度を深めてゆく。矢野の寝込みに突撃し、「遊んで遊んで」とせがみ戯れる永山の軽やかな身のこなしは、今や紛うことなき犬そのもの、シー・イズ・ジャスト・ア・ドッグだ。人間であり人間でない。犬であり犬でない。あるいは、人間であり犬である。存在の様式におけるかくのごとき矛盾、その堂々たる成立ぶりに、映画演技の原理が裸形で曝け出されている。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ゑぎ[*]

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