[コメント] トム・アット・ザ・ファーム(2013/カナダ=仏)
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ガブリエル・ヤレドの手になるオリジナル・スコアにしても、回想のカラオケおよび葬儀シーンに流れる“Pleurs dans la pluie”という名らしい楽曲にしても、また現代怪談のような趣きに傾いた終盤を締め括る終幕曲のルーファス・ウェインライト“Going to a Town”にしても、場面にぴったりと嵌りすぎない作曲・選曲の匙加減がスリリングな納得感をもたらす。
トム役のドランと並ぶ主人公と云ってよいピエール=イヴ・カルディナルのキャラクタは、ホモセクシャル傾向を潜在的に秘めたマッチョ系ホモフォビアという点で『アメリカン・ビューティー』のクリス・クーパーと同類型だ。そこに『サイコ』アンソニー・パーキンス風の「家」に縛られたママズ・ボーイ的精神病理も加味されているのならば、彼の顔面は決してベストの配役ではない。とは云え、それも取り立てて大きな瑕疵ではなく、序盤においてドランの「睡眠」「入浴」「排泄」(という文明人にとって最も私的な時空間)を立て続けに侵すことで彼を支配関係に引きずり込むあたり、まず的確な演技・演出である。もっとも、必ずしもカルディナルとドランが一方的かつ徹底的な支配-服従の関係ではないというところが劇としての『トム・アット・ザ・ファーム』の妙味ではあるだろう。
その二人が納屋でタンゴを踊るシーン、カルディナルが母親に対する陰口めいたことを漏らすのだが、彼女が納屋入口に立っていることを示したカットを挟んだのは迂闊ではなかったかしら。「え、いつからいたの? もしか全部聞いてたの?!」というカルディナルの驚愕と困惑を観客に先取りさせてしまうからだ。ここでショックよりも喜劇性を重んじるならばそれも可だけれども、そうであればカルディナルのリアクション演技は最適ではなかった。
ドランがピンチに陥ると(?)画面の上下幅が狭まってゆくという画像処理が都合三シーンで見られる。劇伴音楽にも助けられて、思いのほか馬鹿のようにはなっていない。サスペンスを煽る効果があったことも認めないではない。それでも「なんなのかな。どういう料簡なのかな」という当惑のほうが先に立ってしまうので、これが得策だったと声を大にしては云いづらい。
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