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[コメント] ソロモンの偽証 後篇・裁判(2015/日)

「学校裁判」この奇跡、この伝説!、如何にして生まれたか、否、生み出せ得なかったのか。☆3.6点。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画に関して言うと、成島監督以上に自分が上手く演る自信はない(そもそも映画監督ではない)。しかしそれでも、残念な点が山積みなのが、この後篇なのだった。

思うに、少女の視線で映画を完遂させようとした事もマイナスに働いたのではないか…。原作でどうなのかは全く知らんのだけれども。(え? これももう誰かが言ってるって?) 以下、蛇足覚悟で感じた違和感を羅列する。

やはりこのハナシは「校内裁判」という前代未聞の企みが強行される事自体が重要な鍵な訳です。開廷の動機に関しては主人公や終盤明かされる神原(板垣瑞生)のもの、何故北尾先生(松重 豊)が後押ししてくれたのか等、多少のゴリゴリ感はあったものの、映画というファンタジーで突破したと思う。しかし、学校や父兄は普通は絶対にそれを許さない筈で、その抵抗や説得・突破の描写がないのには納得が行かなかった。

絶対に裁判は出来ないとは思わない。詰まり中原涼子(尾野真千子)は団交をやり遂げた日大全学連みたいなもので、委員長が学生闘争の季節を振り返っているのだと思えば冒頭シーンはまぁ…、納得出来た。しかし抵抗を描写しなければそこで現実味がなくなる。一般に裁判所以外でやる裁判というのは「集団リンチ」という意味がつきまとう。だから絶対に「裁判をやりたい」「今度裁判をやります」等という表現は使わない。そこに何でもいいからトリックが欲しかった。

主人公がどこかで「大人は入れない。私たちでやる」みたいな事を言っていた筈だ。しかし樹理の母親(永作博美)がマスコミにリークし、主人公もHBSの取材攻撃を受けたりして「どうなるんだ、大人の干渉を排除出来るのか?」と心配していたら、あれれ裁判には親子でゾロゾロ来るじゃないかよ。

大人が後ろに入ってて5日間も公判を維持出来んだろう。大体話として5日要るのか? 2日や3日じゃ駄目だったのか。何で逃げてった樹理がその後普通に傍聴してんだよ。中途半端に大出を攻撃して結局守り(その意味で神原は約束を守った)、樹理ばかり悪者にされたのはイヤな感じだった(しかし集団リンチとはそんなものではあるが)。

前篇で大出個人の描写が足りないと感じたが、同時に後篇に期待していたのは(当然)作中一番のキーパーソンである柏木君(望月 歩)がどういう人間だったかが暴かれる事だった。それが裁判の一つの核心であった筈だが、何と柏木君は神原の相手役(説明役)としてしか登場しないのだった。柏木と大出・井口・橋田の3人組との関係が明かされなければ裁判にならないし、物語としても柏木と主人公、柏木とクラスメート達の(普段の校内での)関係が明かされなければ、裁判を終えられないと思う。思うに柏木は多くの級友達にその死以前に見捨てられていたのであり、見捨てたひとりにモリリン先生(黒木 華)も居たのではないのか。だとしたら垣内美奈絵(市川実和子)のエピソードなんかどうでもいいから、柏木とモリリンの(校内等での)関係をもっと描写するべきではなかったのか。

柏木君は心に大きな闇を抱えた人物で、それは大出達や主人公達とは隔絶した所にあったと思う。だがそれに唯一触れる可能性があったのは神原で、俺としては神原にはそれに気付いていて欲しかった。だからこそ神原はギリギリまで柏木の相手をしていたという話にして欲しかった。(最近では、自殺のニュースで背景にいじめが語られると鵜呑みにしてしまっていたが、この映画を観て青春にはもう一人別の死神が居た事を想い出した。)

裁判で佐々木刑事(田畑智子)が「大出みたいな単純バカは計画的犯行は出来ない」と断定していたが、それってイジメっ子一般とは違うよな。ヤクザ予備群だけに普通は一旦絡まれたらしつこいよ。なら大出の単純バカさをもっと説明しなきゃ、凶暴=単純てな感じで済まさずに。

そう言えば大出の子分2人はどうなったんだ。殺人が3人の共謀なら、2人が免罪なんて事はあり得ない。その辺の説明はどうなってるんだ。(恐らく原作では割愛はしてないだろう)

強く引っ掛かったのは、主人公の独善(予断)が目立った所で、真摯であろうとするだけに痛かった。例えば神原が、柏木宅に掛かった4本の電話を本人から両親にあてたものではと推測した際に、主人公はそれを「どうしてそんなあり得ないヨタをこくのか」と神原に疑念を持ったと言う。どうしてそんな事が言えるのか。自殺を考えている人間が迷い躊躇するのは当然で、実際柏木君もそうだった訳だが、時間的な問題などであり得ないと言うなら兎も角、あの否定→疑念の下りは非常に違和感を持った。また、電器屋のオヤジ(津川雅彦)が電話ボックスの少年を中々特定出来ないという所でも、オヤジは「なんか違うかな〜」程度の反応なのに「オヤジが否定したので大出達3人ではなかった」と早々に断定してしまったのには唖然とした。せめて「3人の誰かであるという確証(感触)は得られなかった」程度に留めておくべきだっただろう。 変に神原への疑念だけに誘導せずに、様々な可能性を残した儘裁判に入った方が良かったと思う。

それから俺は、(原作がどうであれ)松子は殺さなくても良かったと思う。作劇上どうしても松子を殺したいと言うなら、自殺にするべきだった。ご都合主義の被害者に見えて、可哀想だ。

と、まだまだ違和感のトゲは見つかりそうだが、それを紺野美沙子 …もとい藤野涼子というファンタジーに一切合切負わせてしまったのが残念だ(鷲尾いさ子にももうちょっと振ればよかったのに。…もとい西畑澪花…)。

しかし兎も角、この映画は演技派と言われる錚々たる名優達がしっかり脇を固めた筈の映画だったが、蓋を開けてみればその連中が下手に見えた。与えられた条件も厳しかったのだけれど、何ともウソ臭く見えた(大人とは大人を演じる嘘つきどもという事か)。詰まり偏に子供達が輝いていたからでもある。

最後に、この映画で中学生諸君に感じて欲しい教訓は、他人を傷つける人間は傷ついている、という事だ(全部が全部じゃないけどな)。それもこの映画で想い出した事。

(評価:★3)

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