[コメント] コーマン帝国(2011/米)
わたくしはロジャー・コーマンがかつて得意とした欲望直撃エクスプロイテーション映画はどちらかと言えば好きで、いくつかの重要なコーマン映画は観ている。自伝「私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか」も出た時に読んだ。だから、この映画で語られる話の大半は知っていた。
面白いのは、登場してコーマンを語る映画界の人々の肉声だ。彼らの多くは若く無名な時代にコーマンに雇われ、映画への情熱を搾取され、それでも疲弊する中で何かを学び、成長し、改めてコーマンと良好な関係を築いた立派な人々だ。コーマンを敬愛しながらも、どこか呆れて果てているようなニュアンスも感じられて味わい深い。
ロン・ハワードがコーマンに「これを切り抜けたら、もうオレと仕事しなくて済むんだぞ」と言われたエピソードは、コーマンが若者たちにどのように接していたかが窺い知れて面白い。コーマンは若者たちの立派な先生でも先輩でもなかったと思われる。世知辛い映画ビジネスの世界をタフに生き抜く妖怪なのだ。いわゆる「コーマン門下生」がコーマンに抱く尊敬とは、コーマンが何かをしてくれたからでは決してなくて、コーマン自身の強烈な生き様を目撃した若者たちが何かを勝手に感じとったのだろうとしか思えないのだ。
さらに面白いのは、コーマン映画出身でありながらこの映画に出なかった人々の存在だ。中でも超のつく大物であるフランシス・F・コッポラとジェームズ・キャメロンは、正味の話コーマンを現在どう思っているのだろう。スケジュールやギャラの問題でたまたま出なかったのか、それともコーマンに思うところがあって出演を拒否したのか、わたくしのゲスな興味は尽きないのであります。
そのさらに先に、高品質のキワモノ映画でコーマン時代に引導を渡した2人の巨人、スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスの存在がある。もうこのへんになると神話の世界の英雄たちのようで、想像を絶する世界である。
ちなみにコッポラにはこんな話がある。『地獄の黙示録』でフィリピンに巨大セットを建て、これからクランクインしようとするコッポラに対し、コーマンは「フィリピンはこれから雨季に入るからやめたほうがいい」と忠告した。世界中のリゾート地で激安映画を撮ってきたコーマンは、気象にも詳しいのだ。コッポラは「もう中断はできません。ずっと雨が降ってる映画になるってことです」と男らしい台詞を残してフィリピンへ旅立ち、巨大セットは全部大雨で流されたという。映画で儲けるって大変なことだと思います。
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