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[コメント] アリラン(2011/韓国)

カメラを向けられとたん人は平常心でいられなくなる。身構え方に程度の差こそあれ、プロの役者でもズブの素人でも同じだ。だから自分にカメラを向けるということは、意識の有無にかかわらず、どんな嘘をつくべきかを自答自問すること。そして映画とは嘘の凝縮。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画の嘘の源泉はギドクが言うとおり「サディズムとマゾヒズムと自虐」だ。

映画を撮れない苦痛を虚ろな顔で吐露するギドク。世界中からの期待を代弁して、そんな自分を懸命に励ますもう一人のギドク。モニターに映し出される二人の、出口の見えないやり取りを冷笑しながら揶揄する三人目のギドク。さらに煩悩を超越したように自身に問いかけるギドクの影は妙に冷静だ。一見凝っているようで、いかにもありがちな自意識の多重化演出。ギドクは「サディズムとマゾヒズムと自虐」で自らを、観客のひんしゅくの下にさらす。

怒りしか演じようとしない俳優への怒りをぶちまけ、一方ではナルシズム満開の自作『春夏秋冬そして春』に号泣するギドク。殺人者ギドクは、まるで彼の映画の登場人物のように淡々と、しかし一滴の血も流すことなく彼の映画らしからぬキレイな暴力を行使する。無造作に置かれた数々のトロフィーや作品のポスターは、さりげなさを装うことに失敗したかのようにわざとらしくギドクの過去を誇る。これもまた、なんとも自涜的ひんしゅくを煽る計算高い自虐。

そんな、まるで本心のような「嘘」が巧みな編集で上塗りされていく。我々は気づくはずだ。なんだ、映画が撮れないなんて嘘じゃないか。そうか、何のことはない、映画「アリラン」は全部、嘘っぱちだ。だから映画なのだ。

頻出する食べるという行為だけが、唯一の事実だ。何故なら食べなければ人は死んでしまうから。そして、ギドクはまだ生きていたから。したたかなキム・ギドクの復活である。

(評価:★4)

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