[コメント] 映画けいおん!(2011/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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2009年と2010年の2期に渡り放映されたテレビシリーズは、その時代に乗って(あるいは時代を作って)大ブームを引き起こした。
わたし自身も第一期時点で友人に勧められるように観始め、毎週楽しく観させていただいた。そのほとんどは他愛もない話だが、まるで自分がその空間にいて彼女たちをニヤニヤしながら眺めているような、そんな気にさせてくれる、何というか不思議な“幸せ”を感じる時間でもあった。
…ここまではテレビ版の話だが、映画化に当たり、スタッフは面白い思考で映画作りをしたように思う。
その一番大きな点は、本作がテレビ版の“その後”を描いているのではなく、テレビ版最終回の“ちょっと前”を描いていると言うところにあるだろう。ロンドンに行くのが卒業式の前なのか後なのか、描き方はほとんど変わらないかも知れないが、少なくともテレビ版を観ていた視聴者にとっては、全く意味合いが異なる。
通常テレビシリーズから映画化する場合、たとえそれが日常を描いた作品であっても、日常生活から離れた大きなイベントを用意しておくものだ。本作でもそれが日常とは異なる「ロンドンへ行こう!」となっている訳だが、本作のユニークな点は、物語の中心はロンドンではなく、やっぱりテレビと同じく日常をメインにしているという点にあるだろう。
ただし、その日常とは、単にいつものようにだらだらと続くお茶会ではなく、「卒業式」に向けた日常であることが特徴。
テレビ版でも第二期の方は、最初から最終話を目指して作られていた。最終回とは即ち「卒業式」であり、「別れ」を目指して作られたと言って良い(実際には軽音部のメンバーは全員同じ大学に合格して、本当の意味での「別れ」ではないのだが)。話の内容は第一期と変わらないにせよ、その中で「これが最後」とか「卒業まであと〜〜ヶ月」とかのキーワードを事ある毎に滑り込ませ、切なさというものを半年かけて徐々に上げていったのだ。最後の方になるとそれを隠しもせず煽り続け、切なさを爆発させる演出に、本当に寂しい思いまでさせてくれたものだ。
この半年かけて造り上げていったその「切なさ」を、最大限再現しようとしたのが映画版と言えよう。
仮にこの映画が卒業式の“その後”を描いているなら、再会と言う事で喜べはするが、一抹の気まずさが残るだろう。だが、卒業式の前に時間を設定することで、観ている側としてはこれは再会ではなく、再びあの切ない時間帯に放り込まれることになる。僅か数日の違いだけでここまで見事に演出を変えるとは実に巧い。
そんなことで、テレビ版第二期を丸ごと使ってやらかした切なさの演出を映画で再現し、観ているこっちがいつの間にかテレビの最終回前を観ているような気持ちにさせられた。
だからこそ前半のロンドン編が重要になる。これは卒業旅行であり、これが終わったらみんなが卒業するのだと言う事を言葉の端々に匂わせ、本当の別れの演出を強調していった。そしてだらだら続くロンドンでの時間の中で、やっぱり「これが最後」を幾度も言葉の端々に上らせ、再び卒業式に向けて切なさを演出していく。
そこで最後の卒業式を角度を変えて描くことによって、最大限切なさを演出。うまいものだな。
映画の出来としては確かにそんなに優れたものとは言えないが、少なくともテレビをリアルタイムで観ていた視聴者にとっては、これほど“幸せ”ってものを感じさせてくれる演出は無かろう。
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