[コメント] 善き人(2008/英=独)
こぢんまりとした舞台と寓意的な人物たち。どうも演劇めいていると思えば、やはり舞台劇だったか。そう考えれば全編が英語劇として進み、恣意的な台詞回しなのも納得がゆく。ただ、「寓話」であることを貫いたための煮え切らなさは隠す余地もなく、敢えて言えば凡百のナチ・ドイツ告発劇より確実に生ぬるい。むしろ「現実」ははっきりと描かれるべきではないか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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物語はジョンの親友であったユダヤ人のモーリスが収容所に送られ、親衛隊少佐の地位を利用して彼を救おうとしたジョンの前に広がる収容所の絶望的な広さが、彼をして「これが現実か」と言わしめる場面をもって溶暗するのだが、現代映画に照らしてこれが甘きにすぎると断ずる理由は、モーリスのみならずジョンの運命をも曲げてゆくに当然であるのが先の行為であるからだ。
たとえばそれ以後のジョンがおそらく行動を疑われ、親衛隊を追われるどころか遂には非国民的思想の持ち主として投獄されても不思議はないからだ。さらに言えばヒトラーがジョンの小説に見出した、傑出した思想というのが「国に益しない国民の安楽死」である以上、彼の家族が殺されてゆくのを救えないジョンの悲嘆、というエピソードも充分考えられる。そうした地獄をうまく潜り抜けられたとしても、戦後の彼にはナチスに協力した犯罪者としての断罪が待っているのだ。「現実」はこれほどに残酷なのである。
これらが「寓話」成立のために無視されたのだとすれば、現実は映画より奇なり、と言い捨てる根拠と見做されることだろう。それを喜べない自分だからこそ、この物語の甘さはやはり指摘せずにはいられないのだ。
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