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[コメント] 英国王のスピーチ(2010/英=豪)

地位や立場を超えて、言葉通り「人と人の間」に信頼や友情といったプラスのエネルギーが誕生する瞬間を“名前を呼び合う”という日々の暮らしの中で誰もが行っている行為の描写だけでスクリーンに定着させたヒューマンドラマの佳作。
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







海外の作品(とりわけ英語圏)を観ていると、よく出会ったばかりのキャラクター同士が自己紹介の中で「Callme○○(○○と呼んでくれ)」と言いながら、自分の“呼び名”を指定する光景を目にしませんか?

これって、日本人にはあまり馴染みのない文化だよなぁと感じながらも、同時に“呼び名”がその他の文化圏においては極めて重要な意味をもつファクターであろうことは誰もが意識するところではないかと思います。

本作に登場するキャラクターたちも常々この“呼び名”を重大なこととして捉えている様子。いやむしろ、他の作品と一線を画すくらい、「自分が相手をどう呼ぶか」「相手に自分をどう呼ばせるか」という点において、一層のこだわりを持っているように見受けます。

具体的にいくつか例を挙げてみます。

○ヘレナ・ボナム・カーター演じるエリザベス王妃がフェフリー・ラッシュ演じるローグを訪ねるとき。

エリザベス王妃とローグの最初の会話シーン。彼女は自らを偽名、夫であるジョージ6世(この時点ではヨーク公)をただ単に“夫”として呼称していますね。最終的に正体を明かさなければ話が前に進まなくなり、素姓を打ち明けるわけですが、このシーンは、ローグに対する王妃のあからさまな警戒心を観客に伝えています。

○コリン・ファース演じるジョージ6世(この時点ではヨーク公)とローグの最初の会話シーン。

「Drローグ」と呼ぼうとするジョージ6世に対して、ファーストネームである「ライオネル」と呼んでくれ、と何度も伝えるローグ。一方でジョージ6世は「バーディ」と馴れ馴れしく呼ぼうとするローグに対して「陛下」と呼べ、と何度も釘をさします。このシーンだけでなく、本作にはこの手の二人のやり取りが頻繁に登場します。

のちのち明らかになることですが、ローグは医師の資格を持っていないので、「Dr」というには語弊がある、ということを暗に伝えようとしているだけではありません。自らの治療法におけるポリシーである「患者との対等な関係」を最も端的に実現する方法としてお互いをファーストネームで呼び合う、という行為を実践しているわけです。また一方で、王族である自分と平民であるローグについて身分の違いをはっきりさせる必要があると考えているジョージ6世は、その表象手段として「陛下」という呼び名をローグに強要します。

このシーンは、二人にとって“呼び名”がいかに重要な意味をもっているかを端的に表現しているだけでなく、クライマックスへの見事な伏線にもなっています。

○ジョージ5世が逝去した瞬間、母親に「陛下」と呼ばれ困惑顔のガイ・ピアース

英国王室の王位継承は通常「先王の死去」によってもたらされるものです。父親である国王が病床で静かに息をひきとった瞬間、自分の母親から「次なる王」として、突然「陛下」と呼ばれるガイ・ピアース演じるエドワード8世。

父親の死、母親の態度の急変、といった目の前で起きている事態もさることながら、彼を最もうろたえさせているのは「陛下」という“呼び名”=「英国王」としての“地位”についてまわる重責と、自らが追い込まれたのっぴきならない状況でしょう。故に彼は泣きじゃくりながら、自分の弟に「これで愛する女との結婚はかなわなくなった」と何とも国王らしからぬ愚痴をこぼすわけです。

○王位継承したジョージ6世に「パパ」ではなく「陛下」と呼びかける二人の娘。

さらっと描かれているシーンですが、“呼び名”のもつ重要性が幼いころから叩きこまれていることを端的に示していますよね。その“呼び名”ひとつで娘との関係性に変化がもたらされたことに対して少し困惑し、少し照れくさそうなコリン・ファースの表情が絶妙です。

上記の他にも、ローグ家でローグの妻と遭遇したときのエリザベス王妃の台詞など、この類の描写は細かく挙げればきりがありません。

こうして本作は、派手なシーンも説明的な描写も極力排除し、徹頭徹尾“呼び名”に関するシーンを丁寧に丁寧に積み上げていくことでラストシーン、スピーチを終えたジョージ6世とローグの間に生まれたある変化を、驚くほどさりげなく、しかし最も印象的に描き切ることに成功しました。

スピーチを無事に終え、息をつくジョージ6世。彼はその戦いを傍で支え続けたローグに、感謝の意をつたえます。そのときの“呼び名”は「ローグ」。「Drローグ」「Dr」など一貫して対等な(親しい)関係を拒否してきたジョージ6世が長い共闘を経て、ついにはローグの存在を認め、友として言葉を交わす初めての瞬間です。

それに対してローグはジョージ6世を「陛下」と呼び返します。これが泣かせますね!「バーティ」としなかったところが脚本のうまさ。これによって、国王の国王たる証明である「スピーチ」を見事にやりおおせた自らの友に対して、「あなたは国王たるにふさわしい男だ」と心からの賛辞を送っているのです。

また、二人のもとに駆け寄ったエリザベス王妃がローグを呼ぶ時、「ライオネル」とファーストネームで呼ぶところもミソ。自分の夫を勝利へと導いてくれた“友人”に対する親愛の情を“呼び名”に託しています。

“名前を呼び合う”ということ。それは我々が過ごす日常の中では特段意識されることのない行為に過ぎません。

しかし!だからそこ!地位や立場を超えて、言葉通り「人と人の間」に信頼や友情といったプラスのエネルギーが誕生する瞬間を、日々の暮らしの中で誰もが行っている何でもない行為の力でスクリーンに定着させた本作は感動的なのです。王室のような品性と威厳をもった、本当の意味で「人間」を描いたヒューマンドラマ。映画賞総なめはダテじゃない!おすすめです!

(評価:★4)

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