[コメント] 彼女が消えた浜辺(2009/イラン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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見終わってから、僕は2時間ずっと波の音を聞いていたような気がするのだった。単純な話なのである。イランではタブーなんだろう、未婚の男女を家族旅行に誘う。しかも泊まり込みで。それはイランでは宗教的にも許されない行為なのだろう。
だからこそ、婚活サポーターの主人公は家族にも彼らが婚約者同士であるように装う。この常識では考えられない行為がこの映画のキーの部分である。何もそこまでやる必要のないことをやらせる。
やはり気が進まない女は帰りたがる。当たり前だろう。しかし、映画はなぜか主人公が女を帰らせないようにする。何で?
観客は苛々する。
波の音が高まっている気がする。
そして、夜の長い時間を紛らすジェスチャーの退屈な時間を延々と見させられる。
観客は苛々する。いい加減にしてくれ。
そして怖い子供だけの海水浴シーン。何故男たちはどうでもいいビーチバレーに興じているのだ。苛々する。波が高いじゃないか。
厭だ。いやだ。イヤダ。こんな映画見なければよかった、と思う。
そして映画はこの苛々を延々とラストまで続け、観客をぐったりさせる。
これは練りに練られた心理スリラーである。観客は否が応でもそれに嵌まることになっている。仕掛けがあちこちに埋め合わされている。
波の音が急に止まり、そして事件も終わる。当たり前に女は死んでいたが、それも普通、日常よく見るドラマの一部なのだ。
厭な映画から解放される。でも、この2時間の異常な厭な心理的興奮は何なのだ。
新しいイラン映画である。監督の策略に観客は否が応でも嵌められる。
でも、やはり秀作なのである。それが映画なのである。後々残る映画なのである。
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