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[コメント] 息もできない(2008/韓国)

やくざ者と気の強いお嬢さんのロマンス、幼気な子供と敵対する肉親、折り重なる不幸。これはもう伊藤大輔の昔の人情素浪人映画の世界。これを見事に現代に蘇らせている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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本作は暴力の理由を探求して見事に成功している。この姿勢も山田洋次並に古典的だ。一体、映画で暴力、シニカルなアンチヒーローに理由を求めるのが流行らなくなって半世紀は経つ訳で、私などもう飽き飽きしているのだが止めてくれない。本作のようなベタな心理描写の切り口は逆に新鮮である。

ヤン・イクチュンが家族に刃物を向けた父親を繰り返し殴るその劣情は実に「共感」できる。あんな体験をすれば破滅型にもなるだろう。浪花節な改心もよく判る。父親がいなくなったら、彼のアイデンティティーは崩壊するのだ。暴力の連鎖による彼の死は切なくも必然の印象を残す。

キム・コッピについても、あの父親(テレビでピカチュウ観ているのがすごい。病院は受け付けないのだろうか)や弟と毎日口論しながら生活していたら、学校生活にまるで順応できず、ヤン・イクチュンのような男をやっつけたがり、理解したがるのも痛いほど判るのである。

極めて特徴的なのはこの類の映画にして性描写が全くないこと。女優がリアリティ無視の美人揃いなのも伊藤大輔の昔を想起させる処で、ヤン・イクチュンの姉さんの同僚など端役がもったいない。撮影もまた上品、手持ちキャメラのブレは暴力描写を直接観せないために機能しており、この使い方は新しかろう。ピンボケ・ストレスが全くないのも何気に技術が高い。浮遊感の伴う坂道の描写が美しく心に残る。

さて、キム・コッピは母親に刺されたヤン・イクチュンと近づき、そのとき母親を撲殺したその親分の開いた焼肉屋で愉しく呑む。この振る舞いは知ってか知らずか(事件の時、ふたりの顔はマスクなり帽子に隠されているから確認できなかったのだろうか)という肝心な処だけを、映画は観客の解釈に委ねている。しかしこの謎解きは必然と思われる。

まず、焼肉屋の件は明らかに、収束へ向けたアイロニーである。そして、ラストの弟による屋台撤去の反復において、キム・コッピ目線で弟にヤン・イクチュンの面影が重なる。このときキム・コッピは、母親を殺したのはヤン・イクチュンの一味だという、失われかけた(ないしはヤン・イクチュンへの想いから抑圧していた)記憶を忽然と蘇らせている。

このラストでふたつのことが判明する。キム・コッピがヤン・イクチュンに惹かれたのは、同じように暴力的な弟への屈折を強いられた思慕が含まれていたこと、及び、母親殺しの一味への無意識の接近であったことである。

タフなラストだ。暴力の連鎖は止まらず、彼女は過去を背負ってしまったし、今からも背負うのだ。覚醒したキム・コッピは突然に荒野にひとり立たされ、人情噺はこのラストでくるりと背を向けて去って行きそうになっている。彼女はこの連鎖のなか父親のように気が狂うだろうか。それとも全てを受け入れて弟を救おうとするだろうか。後者であってほしいと願わずにいられないのであり、普通はもうヤン・イクチュンの甥っ子の顔など二度と見たくないだろうが、彼女なら乗り越えてまた会ってくれると信じたい。本作は観客の良心を燻り出し、この願いを共有させてくれる。傑作。

(評価:★5)

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