[コメント] 太陽は光り輝く(1953/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
以下は証言と推測、独断と偏見で再現します。
町の名の由来になったフェアフィールド将軍は終戦後奥さんを亡くし[戦争中は肖像画で存命が確認出来ている]、男手一つで厳しく一人息子を育てた。その息子は町で1人の女と出会う。マリーが経営する売春宿の女だ。仲間たちが筆下ろしと連れて行ったのかもしれない。その女はこの町から少し離れた農家の娘[マリーは女が‘この町で生まれたと云っていた’と言うが、地元で売春とは考え難い]で、父は戦争で死に、母親も後を追って死んだ。1人で町へ出て来た娘は、お定まりの様に、やくざ者の情婦となり、売春宿に売られ、やくざ者がヒモになる。
女は息子より年が上だった[いろいろ考えてみると、そんな気がする]が、善良で気立てが優しく[マリーの発言通り]幼くして母を亡くした息子にとっては女であり、また母でもあった。そしていつしか2人は愛し合っていた。
しかし、娼婦と将軍名家の跡取りでは表沙汰に出来ない。やくざ者のこともあった。そして、そのやくざ者が2人の関係に気付く。女を取られて頭にもきたが、そこはならず者だ。「バラされたくなかったら、金を持って来い」と脅迫する。
ひ弱そうに見えても、将軍の血を引く男だ。ヒモなんか殺してやると、夜待ち合わせ場所にに向かうが、逆に殺されてしまう。[この事は‘女を巡ってならず者に殺された’と少し間違って町中の噂になる]。
ところでその時、女は息子の子を身ごもっていた。この人の子だけは産みたいと思った。そして女の子(リー)が生まれる。
将軍に孫だと認知してもらおうと、女に代わって[娼婦が行けるわけがない]レイク医師が女の子を見せに行くが拒絶されてしまう。[将軍の発言通り]。
女は赤ん坊を手放したくなかったので、連れて町を去ろうとするが、医師に止められる。「赤ん坊連れでは働くことも出来ないだろう。私が育てよう。」レイクにとってみれば、敬愛する将軍の息子の忘れ形見を遠くへ手放すのは忍び難く、手元に置いておきたかったのだろう。
女も又、赤ん坊の倖せの為と言われれば、否応はなかった。女は船(蒸気船)で行き来が出来る[と言っても米大陸なので数百kmは離れているだろう]シンシナティ[かなり大きな町だ]に住み、娘の成長と幸せを願いながら暮らし、医師とは連絡を取り合っていただろう。誕生日には贈り物も送ったかもしれない。
以上がこの事件の一部始終だ。
さて、マリーは彼女の事を「善人だったけど、人生に流されただけ」と言う。人生に流され、ずっと日陰で生きて来た彼女。1つだけ嬉しかったのは、将軍の息子との恋、そして子供が出来た事。そんな彼女の最後の望みは、当然子供のことだ。成長した姿を一目<ひとめ>見たかった。そして美しく立派に育った娘を見た。
その後で、マリーに自分の葬式の事を託した―「この故郷の町に埋葬して欲しい」と。この町が本当の故郷でないことは上述した通りだ。
貧しく辛い境遇だった本当の故郷。そして両親が死んだ時、彼女は故郷を捨てたのだ。彼女にとって故郷は、愛する人が眠り、娘が生きているこの町以外にはない。その故郷に埋葬して欲しいと願ったのだ。
***
実は、全編観終わって引掛っていた小さな疑問があった。マリーは何故、埋葬に当たって、太陽が光り輝く中で葬式をしてやりたいと思ったのだろう?
長々と、事件の事と言うよりも彼女の人生を振り返ったのは、この疑問の答えを出す為だった。
そして今、私も、これを読んでくれている方々(いないかも)も、マリーと同じくらいに彼女について詳しくなった。
分かった気がするのだ。こんな彼女の人生を知ったなら、最後の葬式くらい日陰じゃなくて太陽の下でやってやりたいと、思わない人はいないだろうと。
ラストシーンはハーモニカの‘スワニー河(故郷の人々)’の1フレーズ。心に優しく沁みた。
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