[コメント] THE 4TH KIND フォース・カインド(2009/米)
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「フクロウを見た」という証言が「フクロウは居ない」に変わり、フクロウのように怪しげだがフクロウなどではない何者かの姿を観客に想像させる暗示的な演出は悪くないのだが、この、フクロウを意味ありげに使うやり方は、『ツインピークス』からそのままパクったように思えてしまい、他に何か考えつかなかったのかと幾らか落胆させられる。
再現ドラマ・パートが、冒頭に現れたミラ・ジョヴォヴィッチのコメント映像のてきとうな処理から始まって、アビーと息子との諍いや、超常現象を頭から否定する警官のキャラクター性などを含め、何とも「いかにも」な安っぽい作りなのだが、その作り物めいた拙さが却って、「再現映像」としての虚構性の背後に「事実」を透かして見せるような効果も生んではいる。
また、劇中の全ての悲劇と狂気的な出来事を経たアビー本人の幽霊じみた顔が、途轍もない恐怖を見た者としての凄惨さを充満させていて、「何か恐るべき体験をした者は、その人物自身が恐るべき者ではないかと疑わせる」(ニーチェ)という箴言のいい例証という観。この、監督自身によるインタビュー映像以前の、事件の録画映像に映ったアビーは、恐怖に脅えてはいるが、そんな凄惨な顔をしてはいない。その落差によって、事のただならなさが想像させられる。
録画映像は、患者たちが「見てみなければ分からない」と言葉による説明を拒む「何者か」の恐ろしさの表象不可能性に沿うように、その何者かが現れた瞬間、ビデオ映像には激しいノイズが発生する。ボイスレコーダーのノイズも同様。表象不可能性さえもやはり「画」によって感じさせるのが本来の演出と考えるなら、実際の録画映像という体裁によって、フィルムならぬビデオだからこそ可能なノイズによる抽象表現主義というかアンフォルメルというか、「画」の崩壊という手段に訴えるのは、反則と言えば反則。が、その反則技によってなかなかの効果を上げている点は認めたい。実際、観ていて昂ぶったし。同じモキュメンタリーでも、『アルマズ・プロジェクト』のノイズはPV的遊びに走りすぎていて、演出という域から逸脱していた。それに比べたらきちんと映画としての本分に留まっている。
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