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[コメント] ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破(2009/日)

エンドロールの宇多田の曲。『』とおんなじ歌じゃん!と思っていたら、「アレンジ違い」だったそうだ。言われても「そうなの?」としか思えないし、別に同じでも良いじゃん。・・・・・・この映画自体の立ち位置を暗示しているように感じる。
プロキオン14

**ネタバレ注意**
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なかなか、この世の中、三度も作り直すチャンスなんてめぐってこないもの。ばっさりと切り捨てるぐらいの覚悟で観はじめたが、それなりに楽しめた。旧TV版のカットを挟むようなことをまたやってるけれど、観て楽しむ分には問題なかった。

しかしこの『新劇場版』シリーズは、TVシリーズが映画になる様なアニメやドラマと同様「すでに本シリーズを見て、予備知識がある」のを前提にして作られているのは仕方ない事なのかな。(その象徴が、思わせぶりな渚カヲルの登場のさせ方。「前」を全く知らない人が観たら、ワケ判んないはずだよ)。私自身も10年前の段階では全然興味なく、パチンコ台から入った者なので、それほど知識があるわけでもなく、パチンコを通しての好きになり、今回ちゃんと見てみようと足を運んだ人間。それでも予備知識があるおかげで判る部分も有る。

』が「忠実」だったとすれば、『』は「変化」。「元々の物を、こう変えた」という感じか。アスカの苗字を変えました。使徒の造形と番号を変えました。戦い方の視点を変えました。参号機に搭乗するパイロットを変えました。剛速球を見せられた打者に対して有効な「変化球」かな。しかし観るものの多くは参号機の運命を知っている(もちろん知らない人もいるわけだが、そういう人向きには作られていない)。そこでアスカの運命が事前に判ってしまう。

でも、私が期待していたのは「創造」。「変える」のではなく「創る」。前述の参号機のエピソードだって、折角なんだから「再構築」なんて理屈じゃなくて、何か新しい展開で僕たちをわくわくさせてほしい。ここにマリを絡ませるとか、アスカに変えたならではの展開にするとか、戦う相手を初号機ではなく零号機にするとか。とにかくここのアスカの顛末は「変えた」ですらなく、なんだか「俺はこんなこともできちゃうんだぞー、どうだー!」というような、監督自身の生殺与奪と自己顕示にも感じた。

そういう意味で工夫を感じたのが、最後の「第10の使徒」の話(パチンコファンには「第14使徒・ゼルエル」という方が馴染みが深い)。マリを弐号機に乗せたり、今回「普通の女の子」になってしまったエヴァのアイコン・綾波レイをが吸収されたりと、ワクワクな展開になった。で、「すごいぞ!」と思っていた瞬間の合唱コンクール風の「♪翼を下さい」・・・、なんじゃこれは?その前の「♪今日の日よさようなら」と併せて、ちゃぶ台があったらひっくり返したい気分になった。

新キャラマリは、まだ「これから」のキャラなので、今の段階ではどうともいえないが、もうすこし今作に絡ませて欲しかったのと、ビジュアルがなんだか「今風の萌え」だね。「メガネ」に「ハーフ?」に「巨乳?」に「男の子言葉」。「属性のてんこ盛り」となってるが、それが「個性」と思わせたいのなら、バカだ。すでにスカート丈がレイやアスカたちとちがうし。とりあえず、この映画を観る分では「女の子である必要は全く無い」

とりあえず最後の『』の予告編の「眼帯」のワンカットで「救い」を感じたのはよかったけど、とても心配になってきた。

次回『』は、いよいよカヲル登場。そこをどう見せるのかにかかっていると思う。あとおそらく碇ユイのエピソードも出てくるだろう。個人的な期待ではあるが、ここに「冬月先生」の昔と今をどう絡ませるのかに注目している。あくまでサイドストーリーではあるが、あまり語られていないキャラである分「動かす事の出来る幅」は大きいと思う。これは「エヴァファン」ではなく「映画ファン」としての期待だと思ってほしい。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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