[コメント] フロスト×ニクソン(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
政治的な暴露が次々と行われた時期。そのさきがけだったウォーターゲート事件は1972年に起きた事件ですね。このとき私は10歳。小学4年生頃でしょうか。
映画では『大統領の陰謀』でこの事件を追求する記者のお話として描かれています。
そしてニクソンは1974年のテレビ演説で辞任を表明します。
1977年、この映画になった二人の会談は行われますが、このときのアメリカの大統領はカーターさんでした。
(映画では『スターウォーズ』が公開された年ですね。)
日本ではちょうどロッキード事件の初公判が行われた年ですので、日米で国家的汚職にまみれた政権が暴露されていた頃といえるでしょう。
さて、映画となったこの二人の会談ですが、その政治的な詳細はほとんど意味をなさず、むしろ二人の追い詰められた人物が、この瞬間を境に自分のアイデンティティーと名声を得る(あるいは復活させる)ために行われた「戦い」だったことが示されます。このあたりがドラマとして面白いですね。
この話は舞台劇として先行していて、映画には二人の比較的無名に近い俳優をぶつけることで、その当時の二人の心境(つまり追い詰められた)を上手に演出していますね。
映画全体を見て思うことは、権力は毒薬であるということ。ニクソンが必死に弁明し、必死に言葉を重ねることが、自らの立場をどんどん貶めることになる。これは彼が無意識に行ってしまっている行為ですね。だから本人は気づかない。気づかないうちに何か(犯罪)を犯してしまっている。これが権力というものなのでしょうか。
学校でも会社でも、もちろん政治でもいえることだと思いますが、いわゆるパワハラというハラスメントはあらゆる機会にドメスティックな行為として表現されてしまう。権力とはとても恐ろしいものですね。そして多くの人がその権力ほしさに毒を飲み続けるのでしょうか。
そしてもうひとつ思ったことは、名声は水物ということ。この映画でいうデビッド・フロストですね。インタビューの最中にどんどん資金を失い、自らの生活をなげうって行ったインタビューが台無しになる寸前まで追い詰められます。
支持者や仲間が心配しても自らのスター性を信じてニクソンに挑みますが、なかなかその糸口が見出せない。
これは水物でありギャンブルそのものですね。
いずれもその甘さに誘われて毒を重ねる。麻薬のようなもの。
権力と名声
これが表裏一体となった瞬間を映画で表現しているんですね。見事でした。
ニクソンはなぜ最後のインタビューの前にフロストに塩を送ったのか?自らを貶めるようなヒントを相手に与えてしまったのか?それはお互いが追い詰められた者同士であることで同情したからなのか?あるいは、虫の息となった相手を最後の最後に踏み潰すような圧力をかけて徹底的につぶそうとしたのか?あのシーンがとても不思議で面白かったですね。
勝つためにはなんでもやる。それがアメリカなんでしょうね。
これが日本の場合だと武士道というか惻隠というか情にほだされる面が見え隠れするのでしょうが、アメリカだとお互いがつぶれるまでとことんつぶしあいをする。そんな違いがあると思いきや、私が思うにニクソンはフロストを”無意識に”助けたのではないかと思わせます。
いずれにせよ、この映画の台詞にも出てくる通り、二人とも”役者”です。本気でインタビューしていることは間違いありませんが、”テレビ”の前で見せる演技のぶつかりあい。それがこの映画の現実だということですね。
今村昌平監督の『人間蒸発』のラストを思い起こさせる映画でした。
2009/10/24
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