[コメント] わが教え子、ヒトラー(2007/独)
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主人公のユダヤ人グリュンバウムが、唐突に演技指導役として呼ばれるのではなく、実は過去にもヒトラーに演技指導を行なっていたという設定は、つまり、ヒトラーの権力掌握はユダヤ人の指導の賜物であり、彼の反ユダヤ思想と矛盾する手段によって装われたイメージによって今日の地位が得られたのだという、要はヒトラーの全ては虚構であるという事。ヒトラーの配下の者たちが、滑稽なまでに律儀に繰り返す「ハイル、ヒトラー」の敬礼を、グリュンバウムを呼んだ当の人ゲッペルスがぞんざいに扱う態度や、ヒトラーの演説を書いているのも彼である事など、ヒトラーの傀儡っぷりが喜劇的に描かれる。そのせいで、ヒトラー個人は哀れな被害者のように見えてしまうのには、違和感も覚える。クライマックスにあたる演説シーン直前での、例のチョビ髭を半分剃られてしまったヒトラーが、彼に心酔している部下のチョビ髭を借用したと思しき描写(この部下らしき男が鼻の下を触っているカットがあり、ヒトラーは髭を取り戻している)など、ヒトラーをヒトラーたらしめる要素は、取り換え可能な外見上のイメージに過ぎない事が執拗に強調される。演技指導中に、目を閉じて内面に入るように促されたヒトラーが、内面など不要だと言って拒絶する台詞にも、勇ましい外面が全てである卑小な男としてのヒトラー像を徹底させる意志を感じる。だがあまりに一本調子に徹底したせいで、却ってこの映画の全てが、記録映像や、ヒトラーのイメージ的断片を継ぎ接ぎした作り物として見えてしまう。自家撞着とはまさにこの事だ。
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