[コメント] トウキョウソナタ(2008/日=オランダ=香港)
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冒頭、家の中に風が吹きこみ新聞紙が舞っているシーンが印象的だ。密閉された現代の家屋内は住人に管理されている間は秩序を保つものの、ひとたび外界の力に晒されると脆く秩序を失ってしまう。風に舞う新聞紙は寂れた公園に似合う小道具であるが、それが家庭内に持ち込まれたとき、「幸せな家庭」というフィクションは動揺しはじめる。不吉な予兆を感じさせる、本作の冒頭にふさわしいシーンだった。
「東京」「家族」を語る以上、小津作品との対比を免れることはできない。小津作品も本作も、要所要所に象徴的なシーンを採用する手法は共通する。しかし、その象徴する内容は50年の間に大きく変化してしまった。前述の風に象徴される外界と家庭の関係についてもそうである。笠智衆が開け放した縁側で碁を打っていたように、小津の描く家庭は外界を拒むのではなく、家の中の一背景として消化していた。社会背景を描きつつも、作品中で取り上げられる問題はあくまで家族の人間関係に起因するものであった。一方本作に登場する家庭は、外界から一方的に破壊される印象を受ける。家族4人はそれぞれの意思を持っているものの、彼らに外界から提示される選択肢は極めて限定されている。父は強制された選択肢、母は一番危険な選択肢、兄は選択肢にない選択肢、弟は運命に導かれた選択肢にそれぞれ無自覚に辿り着く。50年前の家庭と比べた現代の家庭の良し悪しをここで論じるつもりはない。ただ、黒沢清は現代の家庭の姿に近接し、それを小津に近い形、近いレベルで描き出すことに成功したのだと私は感じる。
今から50年前の東京の家族を探る鍵が小津作品であるなら、50年後に2000年代初頭の東京の家族の姿を探る鍵とされるのは、本作なのかもしれない。
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