[コメント] スミス都へ行く(1939/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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今でこそあまり言われなくなったものだが、全盛時代のハリウッドには悪名高いハリウッドコードなるものが存在した。これは必要以上に“正義”と“健全”を推し進めるシステムであり、それに合わない作品は容赦なく切り捨てられてきたものだ。それはハリウッドはアメリカという国の手本になるべき。と言う使命感に溢れていた時代の一種の弊害とも言える。
それでキャプラ監督ほど、その当時のハリウッドをよく現している監督はないと思う。彼の制作した映画は皆、この世にはびこる悪に対し、敢然と立ち向かい、そして本当にあり得ない話でそれを打ち破ってしまう。最後の演説のシーンなど、リアリティとは縁遠く、一種痛々しいほど正義感に溢れた人物が出てきて、幾多の困難と闘いつつ、最後は勝利を得る。というパターンを作っていた。
昔、私はこういう作品が嫌いだった。言ってることは立派過ぎて偽善っぽいし、現実とかけ離れすぎだろう。と言う思いがどうしても抜けなかったのだ。この作品を観たのは比較的古く、それが妙な違和感になって残ったものだが(本作と『オペラハット』(1936)は特に)、それからずいぶん時が経ち、今になって考えてみると…やっぱりこう言うのは必要なんじゃないか?と思える自分がいる(それだけ私が現実生活のどろどろに嫌気がさしていると言うだけなのかもしれないが)。
良いじゃないか。誰も信じない「正義」を声高に語ったって。
良いじゃないか。理想を持って、その理想を曲げずに突っ走る人生も。
それが周りからどれほど「馬鹿馬鹿しい」と思われようとも、それが自分自身の人生なんだから。馬鹿になりきれるって、どれだけ素晴らしいことだろう!…などとも考えてしまう。
…オチを言えば、このスミスの姿が特撮ヒーローに重なってしまうと言う、ただそれだけと言うことに今気が付いた(笑)
ただ、映画としてどうか?と言われると、やっぱりちょっとご都合主義に過ぎるかな?と言う部分が確かにあり、冷静になるとちょっと引いてしまうところあり。同じキャプラ作品でも『我が家の楽園』(1938)とか『素晴らしき哉、人生!』(1946)では感じないかったので、やはり話が政治に食い込んだ時点で、そう思ってしまったんだろう。が、もうちょっとだけリアリティが欲しかったか。
しかし、これだけストレートな正義感に溢れた作品でありながら、本作は公開がなかなか認可されなかったとか。これは第二次世界大戦直前に政治不信を題材に取ったためだったらしい。確かに「国民一丸となって」と叫ぶ政治家の顔がこれ観た後だと別に映るかもしれないな。
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