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[コメント] 赤線地帯(1956/日)

当時も今も変化しない。今は当時より多少小綺麗にずるがしこくなっただけ。いつの時代に見ても見る人が自分の姿を、出ている人間の光と陰を投影できてこそ名作なのだ。これは見事当てはまる。そして女優陣の美しい出で立ちと演技が、名作度を充実アップさせていると言っても異論は出ないだろう。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







読みづらいのけど気にせず、まずは列挙。

汚職で父が入獄、その保釈金20万円の為に売られ、お金の亡者になった「やすみ」のニコニコ堂乗っ取りに見られるアガリ様。心の闇を化粧で覆う事で自分を保っていたが、自分勝手に悪行を重ねたの父の14来訪でフッ切れた清々しい「ミッキー」の路上に響く声。結核持ちの失業中の夫と子供を養うも、住む家を失い子供を『夢の里』に預け心中という道を進もうとする「ハナエ」の諦め様。一人息子を育てる為に働くも、その息子修一に母の心を理解されず発狂してしまった「ゆめ子」の哀しい歌声。甘い幻想を抱いて安易に結婚に踏み切るも、夫には愛されず心労に耐えかねて再び『夢の里』に戻ってきた「より江」の嬉しそうな哀しそうな顔。

彼女たちの、お互いを蹴落としながらも助け合い生きている姿によって、守銭奴した野郎どもが綺麗に汚く映ること映ること。そこに存在するユーモラスに描かく風刺技が、臭ってくるほど溝口健二。馬鹿らしい世の中の仕組みを映画にすることにおいては、溝口は神懸かり的だ。わずか86分の間にこれほどまでに凝縮されてしまったら、お手上げですよ先輩…。

さてさて、この作品を見終わったあと注意しなければいけないのが、この作品を『娼婦達の物語の映画』だと脳内HDに記憶することだ。いけない。そう記憶しちゃいけない。この映画は娼婦という形をとっているが、娼婦達は私達でもあるのだ。そう、娼婦の暮らしは私達の暮らしでもある。(『西鶴一代女』にも言える事)

当時の暮らしを大いに反映している彼女たちの環境。結核と家柄を重視の蔓延る封建社会の残党、拝金主義と高利貸しに詐欺、シングルマザーに労働環境の劣悪さ。これらは娼婦達だけの問題ではない。娼婦である彼女たちに次々と襲いかかる試練を「娼婦だからねぇ〜仕方ないよぉ〜」と切り捨てる世間の頭脳に心に対する、ゴッド溝口の必殺右ストレート。ゴッド溝口はその辺を、その作用を理解して構成しているからこそ、この映画に名作落ちは訪れないで、不滅不朽で語り継がれて残るのだ。

ゴッド溝口の落とし方_____________

ラスト、下働きの「しず子」がミッキーの威勢のイイ声と、行き往く人々に圧倒され恥じらいを感じ客を呼ぶ姿に、私はゴッド溝口から棚ぼたならぬKOパンチを喰らう。彼女は新人娼婦でありながら、これからの娼婦達が社会に出て振る舞うであろう姿をそこに示しているのと、「しず子」に一般人がこれからの時代に対して希望と絶望を持っているのを見事に表現していると感じた。

これは多少異論があるかもしれないが、私は「しず子」に対し娼婦の売春禁止法案が通ったあとに路頭で迷うであろう女性の姿と心理を、残酷的綺麗に描ききったと感じた。(実際は看板を替えて法律の網をかいくぐって娼婦達は生きていたので、一概にそうだとは言えないのだが…)そして私は案の定ゴッド溝口の神の手でノックアウト。(若尾文子様の登場で第一ラウンドから既にヘロヘロ…)

で、もう少し「しず子」の成長が見たいと思う人がいるかもしれないが、そこにゴッド溝口に落ち度無し。中途半端な終わり方だと言う方、もう「しず子」の将来が出ているではないか。何パターンも出ている内のどれかに当てはめて想像したり、詮索できるように用意してあるので、あの終わり方で良いのだ。と私は大いに思う次第である。想像力を鍛える事が出来る素晴らしいラストだった。

2002/10/10

蛇足だが、増村保造が助監督。あんな綺麗な若尾文子を間近で見たら、そら惚れるわな。惚れなおかしい!増村万歳!&ゴッド宮川万歳!

2002/10/11

(評価:★4)

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