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[コメント] 赤線地帯(1956/日)

セックスという仕事。たとえ奴隷として生きても、しぶとく生き残るのはいつも女性。
ボイス母

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







色んな男とセックスして、疲れた身体で家に帰る。 破れ煤けた貸間の家では、病気にやつれた結核の亭主がゲホゴホしながら赤ん坊をねんねこ半纏で背負って、赤ん坊の夜泣きを慰めている。

「生きなくちゃ」と思う。 「稼いで家族を食べさせなくちゃ。今が辛くても、この子が大きくなれば『あぁ、あの時、心中せずにいてよかった』と思える日が来る」と言う。

「この家族を守るために働いている」苦界に生きる女性たち。 それでも行く末は、「セックスを職業にしている」という事実を成人した子どもからも疎まれて、捨てられるという哀しい結末が来ることもある。

女性の悲しさ。 「食べるために自分が売るモノは、セックスしか無い」そんな時代の哀しい物語(勿論、今でも同じ境遇の女性はいるが)

満州の幸せな新婚時代を思い出す。 「わたしゃ十六、満州の〜♪」 この慟哭に思わず、泣いた。

時間は過ぎ去り、身に付いた吉原の垢は落ちない。 「玄人衆はどこか粋だもんね」なんてうどん屋のおかみにイヤミを言われてかすかに傷つく。

それでも幸せな結婚を夢見て逐電する女もいる。 でも待っていたのは「セックス付き家政婦」の地位。

余談だが、時々、「なんでこの人はこんな(ツマラナイ)男と結婚して居るんだろう」とビックリするような境遇の結婚生活を送る人を見かけることがある。

そんな時に思うことは、「こんな男と結婚するくらいなら、自分だったら風俗で働いた法が百倍マシ!」という事である。

そうなのだ。 愛のない結婚生活で夫から、奴隷がわりに搾取されるくらいなら、たとえ苦界に身を置いても、自分で稼げるだけ「まだマシ」ってものなのだ。

(本当は、苦界に身を置かないでも生きていけられればもっと良いのだが・・・ソレには「時代が許さない」という事も十分あり得る)

その「アガリ」の姿が、文子タンである。 堂々と布団屋のおかみに治まって、商売っけもムンムンである。

一方、マチ子タンの方は?というと、「どうや!極道のアガリに娘とヤッタらどないや!?」と実の父に啖呵を切って見せる、「筋金入りの極道娘」である。 その恨みは深く、消えることはない。 彼女にとってセックスは復讐の武器であるのだから。

「どうせシロウト娘だって、ツマラナイ男に只でくれてやる事だってあるんだから、アンタはシアワセよー!」と店に出される炭坑の少女。 そうそう、女はむしられてなぶられる時代。 「だからせいぜい男に復讐してやりましょう」と溝口監督は女の耳元で囁く。 「情けもない、人情もない、社会と男に、生き残ってやることで復讐するのです」と語りかける。

しかし、吉原の灯は消える。 この映画中にも出てくる、数度の法案審議流産を経て、六度目にして可決。 1956年5月に「売春防止法」が成立する。

まさに、時代を映した名作。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (10 人)irodori[*] 天河屋 ジェリー[*] きわ[*] sawa:38[*] TOMIMORI[*] 太陽と戦慄[*] ハム[*] けにろん[*]

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