[コメント] ブロークン・フラワーズ(2005/米)
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僕はこの映画の見方を完全に間違えた、と鑑賞後に気がついた。なぜ「希望」を期待してしまったのか・・・。考えてみれば、ジム・ジャームッシュがそんな結末へ導くはずがない。全編に漂う、どこか枯れたような雰囲気、これを感じた時点で気がつくべきだった。
ミステリー要素が注入されていることにより、ストーリーラインに気が行き過ぎた。そう、ミステリーは否定されるためにあったあったのだ。ミステリーのように関連付けられたキーワードだけで人生は計れないとでも言うように・・・。ジャームッシュは脱獄劇の形を取った『ダウン・バイ・ロー』では既存の脱獄劇を否定し、西部劇の形を取った『デッドマン』では既存の西部劇を否定してきた。それを思い出すべきだった。
この映画でも、ビル・マーレー演じる主人公ドンがする旅は過去への旅である。『デッドマン』において死から物語をスタートさせたジャームッシュ、やはり向かう先は明るい未来ではないのだ。冒頭でジュリー・デルピー演じる現在の恋人シェリーに愛想をつかされた男が、同じように愛想をつかされてきたであろう女性たちにもう一度会いに行く旅だ。過去の過ちを見つめに行く旅とでも言えるかもしれない。
ドンは旅に乗り気ではないように見えて、実は彼自身が一番未来を探しているのだと思う。19歳になる息子の影を追い求め、そこに理想の息子像を見出そうとしている。でも、そんなにうまく行かないのは、やはりインディペンデントなジャームッシュらしい。
クライマックス、メロドラマ的に息子との再会を演出することもできたはずだ。だが、完全に見放した。「そんなのあり得なねぇんだよ」と俳優を媒介してジャームッシュが叫んだかのように・・・。さらに、あまりにも理想とは遠い息子像すら画面に登場させてきた。呆然とするドンの姿・・・。これはあまりにも惨めでもあり、同時に現実はそんなものだとも感じさせる。
『ブロークン・フラワーズ』というタイトル、これはドンのようでもあり、現実そのものでもあるようだ。たとえば“ビューティフル・フラワーズ”とでもいうような、美しい人生や奇跡を讃える映画を、ジャームッシュという男は作らないのだ。その点は一貫している。
だが、そろそろ円熟期に入った監督である。敗者3部作を作っていたアキ・カウリスマキも、のちに希望を描き、『浮き雲』という傑作を生み出した。僕はそろそろジャームッシュも希望を描くようなことがあるのでは、と勝手に考えていたのだ。間違っていた。ジャームッシュは徹底していた。それが、かつてやってきたことの反復でもあるという残念さと、自分の語り口をあくまで貫く潔さへの感服と、両方を感じるから複雑だ・・・。
言うまでもないことだが、音楽や台詞や映像はすごく面白かった。それだけに自分の見方とジャームッシュの方向性が食い違ったのが悔しい。今回は苦渋の採点だ。
しかし、やはりジャームッシュはモノクロ映像の方が良い。これだけは譲れない。もちろん、今回はピンクを見事に生かしていたが、僕の好きなジャームッシュ作品は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』『デッドマン』『コーヒー&シガレッツ』と、すべてモノクロ映像なのである。僕の中では『ブロークン・フラワーズ』は上記4作品には及んでいないのだ。
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