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[コメント] 大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日)

子どもが見る夢は、いつの時代もビタースウィート。[ラピュタ阿佐ヶ谷/無声]
Yasu

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







かつて、江戸時代までのわが国では「身分」が人間の偉さを決定していた。その身分制度が崩れてから、この作品が作られた頃までは「金を持っているかどうか」でどれだけ偉いかが決まった。それはこの作品の中で描かれている通りである。

しかし、時代が昭和に入り、やがて偉さを決定する要素は金だけではなくなってきた。そして、金の代わりに台頭してきたのが「学歴」である(この作品中でも、父親が「学校へ行かないと偉くなれんぞ」と子どもたちに言うところにその予兆が見られる)。学問を積めばいくらでも金を稼げるということが当たり前になってきたからだが、それが次第に短絡化して「学歴=ステータス」という図式へと変化していったのは、ある意味奇妙な話だ。

この兄弟もやがて成長して上の学校を出て、今日ある学歴社会の基礎を作っていくのだろうが、その学歴重視の傾向はだんだん薄れつつあるように思う(大企業の中にも採用活動で「大学名不問」を謳っているところが増えてきたのがその一例)。もっとも、「学歴」という要素が消えても、また次の要素が後から出てくるだけの話なのだろうけど。

結局、いつの時代でも人間は何かしらの評価基準にさらされて生きなければならないということだ。それを真正面から描いた小津安二郎には、金も大した学歴もなかったが、「俺がどれだけ偉いかは俺の仕事を見て判断しろ」という強烈な自負があったに違いない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)Santa Monica[*] 山本美容室[*] ジャイアント白田 くたー[*] muffler&silencer[消音装置][*] tredair[*] ボイス母

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