[コメント] 白痴(1951/日)
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原作の骨格を巧みに取り出して、三重、四重の三角関係を浮き彫りにし、原節子と久我美子の対決が不可避であったのが得心される。ドスト氏の長編は脇道への横滑りがたいへん多い訳で、それが魅力でもあるのだが、本筋だけ取り出せばこうだよと云われればその通りで、しかも原作では曖昧な森雅之と三船敏郎のホモセクシャルがはっきり浮かび上がる辺りは、映画ならではのハプニングである。「美は世界を救う」とも云われず、イッポリートは告白せず、何よりキリストが何処にもいないが、本作は日本人の解釈の施された、ある種普遍的な、見事な『白痴』だと思う。
雪と影とオーバーな顔の演技に満ちた本作のショットはサイレントに還る志向を持っており、氷上カーニバルや独りでに締まる木戸、クライマックスの森と三船の顔に降りかかる格子から漏れ出た光などの描写に、サイレントのケレンミが横溢している。実際、サイレントにした方が陰影に富んだ作品になったかも知れない。しかしそのときは、原節子の低音の魅力は味わえないことになってしまうから、この案は却下せざるを得ないだろう。
森と三船が、認知症の三船の母親明石光代と仏壇の前で語らう件が充実している。こういう件が山ほど「フィルムを縦に切られた」のだろうと思うと残念でならない。せめて、一旦劇場公開された3時間版を観る機会はないものか。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』との重要な類似点がひとつ。自分を殺しかけた三船を「お守りを取り換えっこした君を信じる」と擁護する森雅之の「白痴の論理」は、なけなしの貯金を奪った警察官デビッド・モースを「あの人はいい人」と擁護するビョークに継承されている。
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