[コメント] スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐(2005/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画は公開直後に劇場で観た。そして様々な思考が脳内を駆けめぐったが、すぐに纏める事が出来なかった。2年経ち、そろそろ忘れそうなので、仕方なしに書く。
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老人の死を何度か見たが、多くの場合死ぬ<前><後>に大きな違いはない。老衰は、死んだ瞬間を判別するのも難しい。昏睡状態からの心肺停止という事でなくても、多くの場合、そのかなり前から彼らは時間を掛けて<死んでゆき>、現実の死の前には大部分既に<死んでいる>ように見える。表情や言葉も無くホームや病棟にただ佇むのは、<嘗て>を想像する事が困難な<存在>たちだ。…
<老いる事>を<枯れる>ともいう。若さと比較していい意味で使う事もあれば悪い意味で使う事もある。枯れるという事は欲を失なう、という事に他ならない。孔子曰く「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」と。70歳になったらやりたいようにやっても規則を破る事がない、即ちそれ程の欲がもう無い、という事だ。これは分別を識るというより、もう<枯れた境地>と思う。孔子はこれを奨励された。
釈尊も苦しみは煩悩より生ずると照見され、苦しみからの解脱は何ものにも捕らわれない事、と説かれた。自ら出家し、出家できない在家は出家を尊敬した。
老いて<枯れ果てる>事は、苦しかった人生に対する<救済>なのか?
さて、パルパティーン最高議長は老齢にしてこの世の栄誉を極めたにも関わらず、皇帝シディアスとなり更に全宇宙を支配しようと目論見る。通常の老人からは想像もつかないこの飽くなき欲求は一体何なのだろうか? 実はそれこそが、この映画を観た時の私の最大の関心事であった。
生きるという事は生きる歓びを実感し愉しむという事だ。悪事をなすシディアス卿は愉悦で満たされ、活気に満ちている。これこそがシスの源泉に他ならない。抛っておいても彼はもうそんなに長くは生きないのである(多分。それともヨーダみたいに優れたシスも長生きするのかな?)。多くの老人は、長かった自分の人生に既に少なからず飽いて、終わりが近い現在に何事かを為そうという気力を既に持たないのだ。ところがシディアス卿は最後の一瞬まで生を愉しもうとする。<早く枯れよ>とする教えに対する違和感や、死を受け入れるが如く半ば無機物と化した老人たちへの嫌悪を否定しきれなかった私は、シディアス卿に共感せずにはいられなかったのだ。…
私はものぐさである。時々、否しばしば何もする気がなくなる。無力感以前に感受性が低下する。ところがひとを恨む時、怒る時には、自らの中に強い凶暴な力が満ちるのを感じる。復讐はしばしば粘り強い忍耐や強い覚悟を生み、それ迄の自分では考えられなかったような事までなし得てしまう。一方普段善良や安穏に囲まれていると、ひとは出来るだけ争いを避けようとするようになり、その余りに、間違った物事から目を背けたり自らは沈黙を決め込もうとしてしまう。
アナキンは暗黒面に落ちる事で膨大な力を得る。暗黒面の力とは何か? アナキンとて最初から悪をなしたかった訳ではない。最高議長を補佐するためなら、ジェダイの叛乱を鎮圧し秩序を保つためなら、母を惨殺した連中に制裁するためならと、自らの欲望に大義名分をつけ、或いは大義名分にすり寄る事で自らの欲をなそうとする。自らの欲に従う時の、その解き放たれた力の大きさを実感し、その虜になっていったのである。
ベンは叫ぶ「You were "the chosen ONE"!!」。ベンも、ヨーダも、 欲に靡いてしまうアナキンの危険性を感じていながら彼を放置してしまう。その圧倒的なミディクロリアンに淡い期待をしてしまう。芽を摘むという痛みを択らず、<期待>という大儀名分によって不作為をしてしまうのである。何もしない事… それは老人に近づく事であり、明らかに理力<フォース>の低下を示す事であった。ジェダイ=善ではない。クワィ-ガンもまた、暗黒面に近づく事で理力を弱めたのだと私は理解している。
では、ジェダイに勝ち目はあるのだろうか。理力とはどこから立ち上ってくる力なのだろうか。ヨーダは何故何百年も、死を前にしても善のために動き続ける事が出来たのだろうか?
理力とは自分の人生への感謝である。自分が去るとしても、残される世界の為に何が出来るか、それが善の力の源泉であり、別の生の歓びであるのだ。
仏教には上座部と大乗がある。大乗は自らの解脱だけでなく、衆生の救済を目標とする。「世界の幸いなくして個人の幸いなし」と。<枯れる事>を修行の眼目に置くのではない「動禅」という言葉もある。ジェダイの僧院が首都コルサントにあり、ジェダイ評議会が<よき忠告者><賢者の集団>として積極的に元老院を<監視>しているのも彼らの意志を感じるのである(元来、元老院自体が代議院に対する"良識の府"の筈だが)。
理力を求めて生きる事は<枯れる事>より難しい。しかし歓びがあるのも事実である。老いてゆく時、枯れてゆくのか、暗黒面から力を得るのか、理力を失わないように努めるのか。主体的に選択しない限り、肉体の老化と歳月の惰性に引きずられてすぐに枯れてしまう事だろう。
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