[コメント] きみに読む物語(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
けして観まいと心に決めていた映画の前に、どうしてか座ってしまうことがままある。それは往々にして現実的な理由に拠る。金、時間、社交、ひとり家でじっとしていることの出来ない私である。
私は覚悟していたのだ。しかし私は裏切られた。
この映画は、私が思っていたほどのクソ映画でもなければ、ダメ映画でもない。むしろ、そういう偏見を振払い正統な金額を払ってでも観るべき立派な作品だった。
(それだけに配給会社の暴挙は許せない。なんたる巨大な足枷!彼らはこの映画に対する好評の総てを、執る足らないアマチャンの世迷言へと貶めてしまったのだ!この映画を褒めるのに要る勇気の膨大なこと!)
まず’50年代アメリカンポスターから飛び出てきたようなレイチェル・マクアダムス の貧乏臭いルックスが溜まらない。ライアン・ゴスリングの偽レッドフォードが如き胡散臭さも申し分ない。そして繰り返されるチンケな恋愛模様!
お前らの恋愛などどうでもいいよ!
本当にそう思った。
お前ら分かれたらいいじゃん。
普通にそう思えた。
思った?思えた?本当に?本当にそうか?
いや、私はここに来てやっと気付いた。我々はニック・カサヴェテスに拠って「思わされていた」のだ。そしてこれこそがこの映画に秘められた最大のトリックだっだのだ。
若きノアとアリーの恋は、最期の最期まで本当にどうでもいい。あの尻軽女がどっち傾こうがそんなことは知ったことじゃないし、男も男で余りにも受身的だ。
どうでもいい恋。どうでも良かった恋。互いに自分本意だった幼い恋。
そう、だからこそだ。だからこそジェームズ・ガーナーとジーナ・ローランズの愛が尊く輝いたのだ。より深い愛への成熟に心を動かされたのだ。私は一途な恋に心を打たれたのではない。その献身さと感謝の心に感動したのである。
語り口についてだが、これも中々である。よくある「三段オチ」だが、その三段目「物語の作者はアリーである」、このささやかさ、けっこう好きです。
暗喩としての「渡り鳥」の使い方も悪くない。言葉ではなく、映像で印象付けることを志向したカサヴェテスは、ここでも完璧に正しい。
ロケーションの美しさについては云うまでも無いだろう。音楽の趣味も合う。
最期に少しだけ。苦言を吐こう。
戦争シーン。いらない。爆弾はそれこそ金の無駄使い。
友人の戦死シーン。いらない。その他の人物の「その後」が語られないのに、彼の死だけが確定的に描かれるのはバランスを欠く。
母が昔の恋人について語るシーン。皆まで語りすぎ。その恋の結末など「現在」を観れば判ることじゃないか。
ラスト。二人が一緒に冷たくなっているシーン。確かにいらない。というか綺麗過ぎ。
俺の好みはジェームズ・ガーナーだけ先に死んでしまうパターン。残されてしまったジーナは、また何事も無かったかのように呆然として大河を見下ろしている。そこをアップで長廻し。一分経過。河の光が反射して、彼女が泣いているように見えないこともない。でも泣いていないかもしれない。
FIN。
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