[コメント] さすらい(1957/伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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工場まで弁当を届けにきた女は、何も話をすることなく家に帰ってしまった. 女は、若い男ができたので別れようという.でも、全く詳しい話はしようとしなかった. 寂しさから逃れるように、昔の女の所に身を寄せる男.けれども別れの話をすることもなく、明け方に再び旅出った.「がっかりした?」「ええ」この姉妹の会話は、話し合う余地のあったことを物語る.
ガソリンスタンドの女の場合も、やはり同じ.何となく一緒に居るのが嫌になって、カフェで待つ女を残して、何も話をすることなく旅出った.何となく高慢知己で嫌な面を持った女.その事を、嫌なら嫌でもっと話し合うべきなのでは.帰り道の立ち寄ったガソリンスタンド、女は一人だけで仕事を持て余し、施設に入れたお爺さんも家に戻っていた.きちんと話し合えば、また別な道もあったように思われる. 付け加えれば、娘を家に帰すとき、バスを追いながら娘に話しかけるけれど、親子の会話も不足していたように思える.
船の所有者の男は、話し好き.でも、言っていることは嘘っぽい. あばら家に住む娼婦であろう女.憲兵の姿を観て男は逃げ出したけれど、別に自分が追われている事はなく、話をすれば分かることだった. 女は、生活に困って再び身を売ることになるけれど、その時の女の言葉は、「身の上話をすれば一ヶ月はかかる」、つまり、たくさん話をしたいことがある.「話を聞いて」と言う女の言葉を無視して立ち去る男.女を買った船の所有者の男は早くこいと言う.「おまえも地獄に落ちろ」女の言葉は、話をすることとは相手を理解することであるのを物語る.
旅立つ前に振り返ってみた街の風情は平和だった.けれども立ち戻ってみると、町全体が空港建設に揺れている.空港建設に反対する街の住民たちは、市役所を取り囲むようにして市長を待つけれど、警官に守られながら車で乗りつけた市長は、住民と何も話をすることなく、役場の中へ消えた.
女と別な男との間に子供ができて、もう、元に戻ることのない事実を悟った男は、名前を呼ぶ声にも答えることもなく、女の目の前で飛び降りてしまう.
話し合っても、どうにもならない事ばかりなのでしょうか.でも、きちんと話をする必要があることもあれば、自分の言いたいことを言うべきときもあるはず. 結果がどうであれ、もっと話し合うべき.
日本の成田の空港建設より、もう少し前の事の様ですが、でも、強制収容という、一方的な建設への方策は、イタリアの場合も同じであったのでしょう.もっと話し合うように、とことん話し合うように、アントニオーニは諭しているのね.
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