[コメント] 怒りの葡萄(1940/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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スタインベックの同名小説を名プロデューサーとして名高いザナックの肝煎りで製作された作品。ザナックはスタインベックから「小説の主要なアクション、社会的な意図を誠実に実現する」という条件の下、10万ドルで購入。そしてザナックが選んだ監督はフォード。これは見事にはまった。 これは持論だが、優れた映画は、それが作られた時代背景を知るとその面白さが増すと言う特徴を持っているものだ。本作の舞台は1930年代の大恐慌時代だが、労働者の側に立って作ることが可能だった時代というのは、ハリウッドでは本当に僅かな期間に過ぎず、特に本作が製作された1940年というのは、本作が作られる可能性のあるギリギリの時代だった。その瞬間を上手く捉えた作品と言える(1930年代はエンターテインメントのみに力が入れられていたし、第二次世界大戦にアメリカが巻き込まれていくと、戦意高揚のための作品が作られるようになり、戦後は赤狩りが始まっていくから、こういう社会主義的な作品は作られる可能性のある期間が極めて短い)。その中でもかなりの冒険作で、これこそザナックが名プロデューサーと呼ばれる所以と言える。
極めて珍しいことに、メジャーな映画が社会の底辺の人間を扱った作品として、『誰がために鐘は鳴る』と共に時代の産んだ名作として語り伝えられるに足る作品だ。
舞台となるのは1930年代の不況にあえぐアメリカなのだが、原作が書かれたのは1939年、そしてその一年後には本作は映画化されている。つまり、これをリアルタイムで観ていたアメリカ人にとっては、つい先日の出来事が眼前で展開されている。更にここにはヒーローはおらず、明確な意味での悪役も登場しない。あるのは貧しさにあえぎながらも、それでも希望を捨てない普通の一家であり、彼らを圧迫するのは、人間ではなくシステムだった。だから怒りの持って行きどころがなく、自分たちに跳ね返ってくるのだ。これを観ていた人たちの受けたショックは凄かっただろう。
私は事前に原作を読んでおり、その中でもいくつか大変お気に入りのシーンがあった。ただし、それらはほとんどミニエピソードばかり。それでそのシーンが出たら「良作」にして、出なかったら「フォードも分かってねえな」と言ってやろうと思ったのだが、そのシーンのほとんどが登場。驚いた。特にカリフォルニアに向かう途中のダイナーでのやりとりが映像化されただけでも、なんかとっても幸せな気分にさせてくれる。 しかもフォードの実力の凄さは、そう言うミニエピソードを所々にちゃんと入れながら、物語を全く破綻させずに、時間内に物語を収めてしまったという点にある。しかもただ物語を描写するだけではない。映像ならではの人々の表情や感情もしっかりと出して。名作の映画化という意味では、最高の出来と言えるかもしれない。
物語は終始静かな感じで流れていくのだが、それも又、表情一つ一つに陰影や暖かさ、強い意志などを封じ込めるには一役買っている。
そう言う意味では大変見事な作品と言い切ってしまえるのだが、ただ問題は、話自体が本当に淡々と流れてしまったため、なんか映画を観てると言うよりは、小説を映像化した作品。と言う印象だけが最後に残ることくらいか?
フォード監督自身は気に入らなかったようだが、ラストを原作からちょっと変えたのも、私は良かったと思う。さもなければ、最後にほっとした気分にはさせられないから。
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