[コメント] 悪い男(2001/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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私にとって金基徳は、増村保造に通じる、愛の作家だ。彼にとって暴力とは言葉を代理する、そして言葉を喪うための手段にしか過ぎず、描かんとするものの本質ではない、と思っている。
今第7作、物語設定は一転してシンプルなやくざものだが、起承転結の「転」の部分は第4作で出世作の『魚と寝る女』と全く同じ。無口な主人公が、言葉に拠らず、自ら死に近づくことで、愛するものの心境の変化を促す、というもの。金基徳の恋愛観が窺える興味深い共通点である。
しかし、今作の味噌は、むしろその後、「結」部の清冽さにある。ファンタジックでストレートな恋愛描写が、一切、ベタつかない、感傷的にならない、そこにこそ私は、金基徳映画最大の魅力を感じる。
映画のラスト。ハンギとソナ、二人の変化が静かに語られる。言葉は聞えない、表情は見えない、しかし、二人の間に流れる空気だけは確実にフィルムに焼き付けられている。
ソナは、ハンギに出所を聞いて以来、殆ど口を利かなくなる。「はじまりの場所」に連れ戻されたときも、「自力」で海岸に向かうまでの間も、そこでハンギと幻想的な再会を果たしたときも、そしてその後も、一切、声を発さない。
思い起こせば、ソナは最初、口を利かない。雑踏の中から登場し、ベンチに腰掛ける彼女は、声を出さない女神だったのだ。(それだけに、彼女の声を最初に聞いたとき、俺はハンギと共に、少々の幻滅を感じたものだ。なんだ、普通の女じゃないか、と。)
言葉を発する、ということは、相手に言葉を要求する、ということだ。しかし、この二人に言葉はいらない。というか、むしろ邪魔なくらいだ。だから、彼女の方が彼に合わせて自然とこうなっていったのだろう。或いは、激烈な心の痛みから解放されることの安堵により、言葉の使い方を忘れてしまったのだろう。
ハンギも変化する。終始、ソナを見つめ、監視し、盗視していた彼が、ラストでは彼女の「仕事」に見向きもしなくなる。船着場のコンクリートに座り込んで、海を見ながら静かに煙草を吹かしている。それは勿論、彼が、彼女との心の繋がりを、確信しているからだ。
「事」が終わり、寄り添う二人。互いに「応え」は求めない。
そしてトラックは向かうのだ。二人だけの安息の地へ。
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