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[コメント] 折り梅(2001/日)

この映画を見に行って劇場はなぜか中盤笑いに包まれた。もの凄く腹が立った 2002年7月12日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







劇中何度か劇場が笑いに包まれた。例えばおばあちゃんが雑巾を凄い量縫ってたり、酢豚を『千と千尋の神隠し』の豚両親みたいに食うシーンとかで劇場は笑いにつつまれた。そしてオレが劇中唯一笑ったトミーズ雅が「男のクッキング」を読んでるシーンでは冷め切っていた。

なぜ?なぜ笑えるの?ここで笑えるのはこういう立場におかれたことがないからではないか?もし痴呆とか、自分勝手な老人を世話するはめになって、しかもそれが義母だったりしたらどうだろう?出て行けともいえない、そして夫の母であるから、辛くあたるのもできない・・・。こういう立場におかれた人だったら確実に笑うどころか「どこでもいっしょなのか」だとか思ったりするんじゃないだろうか?なぜ笑えるの?考えられる理由はもう一つ。ただの無神経な人。

うちの祖母は去年くらいに死んだ。んで自分勝手なムカツク祖父が居る。一応別居だが、うちの母は結構世話してる。じーさんのわがままにもたえたりもしてる。もう相当嫌気がきてる。まるでこの映画の中盤の主人公のように、家に変えると疲れきっている。そしてもう片方の祖母は生きているのだが、そっちもはっきりうざい。

正直俺の祖父、祖母はムカツク。なんどベレッタで脳みそ床に撒き散らしてやりたいと思ったことか。(ってこんなこと書いていいのか?)

しかしこの映画の中盤まではその感情がヒートアップしていたが、ラストになると「どんな人にも過去がある」だとか綺麗事並べてるストーリーでも、ついつい「自分の考えが間違ってる」ことに気付けた。

やっぱいい映画なんだな。

さて、それはひとまず置いておいて。まず冒頭で弁当渡してたおばーちゃん。なんであとから登場させなかったの?あそこであわせて「あなたは誰?」とかあとでやるかと思ってたら何も起こらない。これじゃ「おばーちゃんの人間性」を冒頭で描いておいて、あとから「痴呆」に繋げると思ってた所で何も起こらない・・・。なぜ使わなかったんだろう?

そいからおばーちゃんが自身で語ってた「過去話」。なぜ生活保護うけなかったの?それで一生懸命寝る暇を惜しんで仕事してストレスためて、疲れためてそれが「痴呆」に繋がったのでは?

これって余計なプライドが生んだ痴呆?まぁそんなこと考えるべきじゃないけど、なんで生活保護うけないのかな?別に生活保護はカッコ悪いことじゃないと思うし。誰にだってうける権利はあるわけだし。

んで冒頭で川のトコで絵を書いてる二人はなんだったの?あれは「痴呆」にかかる前のばーさんの姿じゃなくて、「現在」のばーさんの姿でしょ?っていうかそれしか考えられない。

そして何よりも「梅」の使い方がうまい。スカスカでも生きる梅。折っても生きてる梅。「折り梅」かぁ、、、すげーなー。。。。

ついでにおばーちゃんの故郷の海はめちゃめちゃ綺麗だったな♪

総合・・・4☆☆☆☆

(評価:★4)

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