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[コメント] 墨東綺譚(1960/日)

白い蛇の化身のような新珠山本富士子の哀れを際立たせる。怪談のようなシュールな画の数々が面白く、微妙な照明の明滅連発がとりわけ素晴らしい。そして最大の美点は美術、伊藤熹朔の傑作が堪能できる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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美術はたぶん東宝美術の頂点のひとつだろう。溝挟んだ裏路地と「ぬけられます」看板はこれがリアリズム、神代は幻想的にディフォルメされているのが確認される。話は遊郭を舞台にした男と女の幸不幸を描いて一般的なものに留まるが、原作はその先駆だった。俳優は極上で最高の山本富士子新珠三千代がおり、織田政雄中村伸郎もいい。芥川比呂志の平凡も要所を押さえた。山本富士子ははじめての娼婦役だった由。

普通の長屋の作りに、先の看板はじめ色んな小物で飾り立てられた玉ノ井、という構造がはっきり判るのが本作の優れた処。部屋の電傘にクラゲのような被せモノが施されているのがその典型に見える。番傘が陽に干されてある路地、扉の菱形の窓硝子、なぜか床の間にあるキューピー人形。室内の鏡に向かって肩出して化粧始める山本、この演出もない剥き出し加減。フンと鼻で蓮っ葉に笑うのがたまらない造形。「情が移らないじゃないの」と芥川を隣に座らせる。馴染みになり、二階に来て寝ている芥川を抱擁する山本の件が妖艶。蚊帳を斜めに垂らした構図が素晴らしい。埋立地だから溝臭くて蚊が多いと全てに達観したかのような骨だけになった中村伸郎が呟く。このおっさんがまた素晴らしい。

山本の家庭の事情は病気の母の看病のための身売り。しかし仲介した叔父の織田政雄が女買って使ってしまう。この人のおどおどした表出は他の追随を許さぬものがある。看病に実家に戻ったら母の葬式で、親族に罵声を喰らう。地元は千葉の行徳で、葛西と同じように川には川舟が渋滞している。あの川はどこだろう。旧江戸川にしては狭い。もう埋め立てられた川かも知れない。葬式も舟で出される描写があった。それで寝込んだ山本は、看病に来て謝る織田を許す。「持ちつけないものを持たせたのが悪かったんだよ」。織田の相手した女は高友子だったか原千佐子だったか。娼婦に喰いつく男、喰いつかせる女という関係をカネが流れていった。山本は芥川に、人が信じられなくなったとこぼす。それはそうなるだろう。

芥川の不幸は妻のアラタマ。旦那から貰った女で、旦那の子供付。最初は良かったがお互いどんどん心が離れてゆく。アラタマはやたら日蓮の太鼓叩く。芥川が帰宅すると太鼓の音がしていてイライラして怒鳴り込むと叩いているのは旦那の息子で、襖を開けると玄関、風呂に行こうとするとアラタマが帰ってきて云い合いが始まる、という縦構図がとても見事で本作のベストショット賞。そしてアラタマは改心して白襦袢で芥川にヨロメき「また夫婦になれたの」と勝ち誇るのだった。こういうときの彼女は白い蛇に見える。

お上がやたら批判される。これは荷風の延長だろう。「天皇陛下が出かける前の晩は必ず警察が捜査する、悪い奴は玉ノ井か吉原に潜伏するものと決めてかかっている」。芥川を疑う警官に山本はお前の上官だと囁き、警官は敬礼して逃げて帰る。芥川と東野英治郎は軍事教練で授業時間が減ると嘆き、裏路地にも防火訓練の掛け声がかかる。軍の慰問団編成、その検査を厚生省の役人が覗いてくすくす笑う、と伸郎が怒っている。淡路恵子はこの検査に引っかかっている。おそらく戦死したのだろう、出征軍人の写真見ながら大正琴で「東京流れ者」!弾いている遊女は結核で死ぬ。灯火管制はピンスポになる(照明の微妙なテクが本作頻出していて愉しめる)。山本は最後、満州に送られたと噂される。

芥川と荷風の中村芝鶴がすれ違う仕掛けは面白く、『樋口一葉』で作者と登場人物との対話が思い出された。路上の猿回しの猿がいい断片。♪忘れちゃいやよが流れ、猿はエプロンしてハンカチで涙を拭う。本作美術唯一の欠点は東野と乙羽が打っていた碁の碁石の置き方が出鱈目なこと。

路上の美術は他にも、手だけ出てきて誘って、断ると足が出てきて足蹴にする、というユーモラスなショットが印象的だった。最後は灯火管制の元、暗い路地に窓枠の女が延々連なる素晴らしくも哀しいショット。東京映画、モノクロワイド。東京映画としては荷風原作は『渡り鳥いつ帰る』以来五年ぶりの由。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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