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[コメント] キャラバン(1999/英=スイス=仏=ネパール)

もちこんだ「映画」、もちこんだ「物語」。・・・だと思うけど。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どういう経緯で製作されるに至ったのか知らないけれど、ふつうの物語映画としてよく出来ていると思う。

はじめ気になったのは出演者のこと。みんな上手すぎる。つまり演技馴れしているように見える。彼らは本職の役者なのだろうか。映画は彼らのドラマを顔のクローズアップというごく平凡な手法で物語っていくのだけれど、彼らの表情はそれにちゃんと応えて表情の向こうにある(だろう)ものを「読み取らせて」くれている。テレビのドキュメンタリー番組などで見掛けるこういった土俗的な生活者達の面立ちはいつも無表情で、直ぐには「読み取らせて」くれない表情をしているものだと思うが、この映画の彼らはじつに判り易い顔をしてくれている(*)。だが、そこでふと思ってしまうのだが、この“個体が表情で内面を伝達する”という様式、これは強固な個人的自我を具えた人間同士の共同体でこそ発達するものなのではなかろうか。むしろ共同体の掟を必死に固守して大地にへばりついて生きていかねばならないような人間達には、強固な個人的自我などは無用の長物でしかなく、故に“個体が表情で内面を伝達する”という様式もあまり発達しないのではないだろうか。そのような土俗的な共同体を舞台にしているにしては、この映画の出演者達はみんな表情が(うそ臭くないほどには)豊かで、その分映画の物語に真っ当に奉仕している顔達であるように思える。勿論それは何もわるいことではないのだけれど、もっと土俗的で無表情な人間達のドキュメンタルな静かなドラマなのかと思っていただけに、ちょっと意外に思えた。

それと物語。保守的な老人と、革新的な若者の対立。ありそうなドラマは、ありそうな円満な結末へ至る。歴史性を欠いた自己完結的な物語には、やはりこれは外の人間がもちこんだ「映画」であり、外の人間がもちこんだ「物語」なのではないかと思えた。つまり、オリエンタリズム。

原題:ヒマラヤ。その名の通り、ヒマラヤの雄大な光景が見物。スペクタクル。ヤクの群れ、黄金の垂れ穂。(宮崎駿が好んで描きそうなセカイだと思う。)

*)キャストを見ると役名=実名みたいなので、やはり彼らは土地の人なのでしょうか。素人にあんな演技させたとしたなら、すごいな。

(評価:★3)

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